公開日 2026年1月21日 最終更新日 2026年1月21日
先天性心疾患をお持ちの皆さまであれば、「障害年金」という言葉を一度は耳にしたことがあると思います。
私は国の「指定難病」に認定されている「単心室症」という先天性心疾患を持ち、社会人として10年間、体調と向き合いながら働いてきました。障害年金に興味を持ち始めたのは、30歳を過ぎてからのことでした。
はとらくでは、心臓病に関する寄稿を募集しています。当事者や医療・福祉の現場にいる方の声を、編集部がサポートのうえ発信しています。

執筆:Mariana
北海道生まれ。右室性単心室により3歳の時にフォンタン手術を受ける。障害者雇用枠で様々な企業を渡り歩きながら、ヘアパーツモデルを経験。旅行が大好きで、日々航空マイルを貯めるためポイ活に勤しむ。所有資格:オーガニック健康カウンセラー、オーガニック・コスメアドバイザー、ユニバーサルマナー検定3級 執筆記事一覧
【目次】
障害年金の申請にチャレンジしようとしたキッカケ
20代の頃は、健常者と同じように会社でフルタイム勤務を続けていました。
しかし30歳を迎えた頃から、午後3時以降に強い疲労感が襲うようになり、それが週3〜4回の頻度で起こるようになりました。業務にも影響が出始めたため、上司や人事担当者に相談し、フルタイムから時短勤務へと働き方を変えることにしました。
勤務形態を変えると気になるのが、やはりお給料の減額です。減った分を補える方法はないかと考えたとき、障害年金が思い当たり、申請を決意しました。
20歳で障害年金を申請しなかった理由
そもそものところ、なぜ私がそれまで障害年金を申請していなかったのか。
先天性疾患を持つ人は、初診日から20歳までの期間で障害年金を申請できます。私も20歳のときに申請を検討し、母と一緒に役所へ相談に行きました。
ところが窓口に着いた途端、男性職員から 「障害年金の申請? あんたじゃ無理無理、通るわけないよ」と門前払いされてしまい、母と私は言葉を失いました。その経験もあり、一度は障害年金の申請を諦めていたんです。
しかしながら、明確に病気が原因で収入が減ることになった。今度こそは、と考え申請を行いました。
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申請の準備に苦労したこと
①初診日がすぐに分からない
先天性心疾患は生まれつきの病気ですが、“初診日”は生まれた日ではなく、医師から正式に何らかの診断を受けた日になります。
私の場合は母子手帳に記載がありましたが、人によっては明確な記録が残っていないこともあります。
②『病歴・就労状況等申立書』の記入が大変
この書類は障害年金の審査において非常に重要です。
受けた手術、服薬の経緯、幼少期の生活、学校での配慮、社会人になってからの働き方など、患者自身のストーリーを細かく書き込む必要があります。私は何度も鉛筆で書き直しながら、ようやく形にできました。
③自分で直ぐに思い出せる範囲の心疾患エピソードが少ないこと
大人になった今、子供の頃の記憶が遠くなり記憶が断片的になり思い出せないこともあります。
特に小さな子供の頃に手術を受けた時の記憶はほとんどない場合が多いので、両親に当時の手術を受けた状況やどのような経緯でその病院に通うようになったのかを訊く必要があります。親に聞いたエピソードも病歴・就労状況等申立書に反映していきます。
④昔通っていた病院に自分のカルテが残っていない
私は子供の頃から市立病院と個人経営の小児科の2か所通院していました。障害年金の申請にあたり、当時通っていた病院のカルテなどの記録を提出する必要があります。
私の場合、個人経営の小児科が20年以上前に閉院しており、市立病院では現在通院している総合病院に私のカルテなどのデータを移行されているため、その市立病院には残っていませんでした。その場合は母子手帳や過去の紹介状など、過去に昔の通院してた記録が残っているケースがあるため、現在通院中の病院にお願いして探してもらいました。
障害年金の審査の結果
障害年金の審査には、申請から結果が届くまで約3か月ほどかかります。
私は「初診日〜20歳まで」と「21歳〜現在まで」の2区分で申請しましたが、残念ながらどちらも不支給という結果でした。患者仲間からも「年々審査が厳しくなっている」という声を多く聞きます。
以前は受給できていた人が、更新時に不支給になるケースもあるそうです。
不支給判定という経験をしたからこそ
障害年金の申請を通して、自分の初診日や治療の経緯、手術を受けた理由、薬を使い始めた背景など、今まで断片的だった情報がひとつの物語のように繋がりました。
家族と一緒に歩んできた先天性心疾患との道のりが見えるようになり、まるで記憶のピースをはめてパズルの絵が完成したような感覚でした。私はこの経験を活かしながら発信活動を継続していこうと思います。
