公開日 2026年4月30日 最終更新日 2026年4月30日
先日、新しいクライアントとの打ち合わせで自己紹介をしたとき、自分の病気について話す機会がありました。私は大学卒業直前に心室細動で倒れ、AEDで救命された経験を持っています。現在はS-ICDという除細動器を体内に入れて生活していて、仕事の場や私生活で誰かに病気のことを話す機会も普通にありますし、隠したいと思ったこともありません。
それなのに、自分が当事者だと自覚する瞬間は、日常の中ではあまり多くない。今回はそのことについて書きたいと思います。
はとらくでは、心臓病に関する寄稿を募集しています。当事者や医療・福祉の現場にいる方の声を、編集部がサポートのうえ発信しています。
【目次】
障害を隠そうと思ったことはない
会社員として働いていた頃も、フリーランスになってからも、自分の障害を隠したいと思ったことはありません。前職が障害者雇用に関わる仕事だったことも背景にあると思いますが、それ以上に、隠したいという感覚自体が私の中にないのかもしれない。むしろ見た目では分からないからこそ、必要だと思う場面では自分から伝えるようにしています。
クライアントとの初回の打ち合わせで病気のことを話すのは、万が一仕事中に何かあったときの備え、という事務的な意味合いも一つあるのです。ただ、それ以上に、自分という人間を伝えるための材料の一つになっているという感覚に近いのかもしれません。
ライターとして取材をするときも、自分から話すことがあります。病気や障害を抱える方、マイノリティと呼ばれる立場の方にお話を聞くときは、相手に踏み込んだ話をしてもらうために、まず自分の手の内を見せる。ある意味で、自分の障害を仕事に活用しているのかもしれません。
身体が思い出させてくれる、当事者である自分
ここまで書くと、心臓病当事者であることをしっかり受け止めて生きているように見えるかもしれません。でも、実際の生活の中で「自分は当事者だ」と感じる場面は、そう多くはありません。
S-ICDを入れて7年が経ちますが、その間に機械が作動したのは過去に書いた一度の誤作動だけ。不整脈の再発は一度もなく、ただ機械が入っているだけの人。それが今の自分の実感に近いのだと思います。
とはいえ、ふと自分の身体のことを自覚する瞬間はあります。
一つ目は、最近習慣にしている朝晩のストレッチをするときです。背伸びや体側を伸ばす動きの中で、左側を伸ばす場面では少しだけ気を遣います。胸の左側に機械が入っているからです。普段意識していないものでも、こうした動きをした瞬間に、体の方が機械の存在を教えてくれます。
二つ目は、銭湯に行ったときです。S-ICDを入れていると、電気風呂に入ることはできません。私はもともと電気風呂が好きで、銭湯に行けば必ず入るタイプでしたが、手術以降は入れなくなりました。さらに困るのは、銭湯に行くたびに、湯船が電気風呂かどうかを確認しないといけないことです。お湯のすぐそばにある札や案内表示を、メガネを外した状態で読み取ることになるので、字がぼやけてうまく確認できず、毎回少し苦戦しています。
三つ目は、空港やディズニーランド、東京ドームのような、入場時に金属探知機ゲートを通る場面です。ゲートに着く前に係の方へ声をかけて、機械が入っているのでゲートを通れないことを伝えます。空港やディズニーランドのスタッフはこういった対応に慣れているのか、すぐに別の手順に切り替えてくれることが多い。先日WBCの試合を観に東京ドームへ行ったときには、応対してくれた方が少し戸惑っている様子で、別の方を呼んでもらうことになりました。
こういった瞬間、自分は手術を受ける前とは違う自分になったんだと自覚します。
【関連コラム】
分かったつもりにならず、丁寧に向き合いたい
同じ心臓病でも、生活への影響は人によって違います。
私のように普段はほとんど症状が出ない人もいれば、毎日症状と付き合っている人もいる。私自身は普段から病気のことを当たり前のように話していますが、もっと大変な思いをしている当事者の方もたくさんいるのだろう、と考えることがあります。同じ病気を持っていても、立場や状況によって見えている景色は全然違うはずです。
心臓病に限らず、何らかの事情を抱えながら生きている人は、私たちの周りにたくさんいるはずです。それぞれが違う毎日を送っていて、見えていない事情を抱えていることもあるはず。頭では誰もが分かっていることですが、本当に理解しようと努力できているかは別の話だと思います。だからこそ、相手の事情を簡単に分かったつもりにならず、丁寧に向き合いたいと考えるようになりました。
それは、自分自身に対しても同じです。自分のことは自分が一番分かっているつもりでも、立ち止まって考えてみると、まだ向き合えていない部分はたくさんあるのだろうと思います。自分自身と丁寧に向き合いながら、自分とは違う事情を持つ周りの人のことも、できるだけ理解しようとし続けたい。その姿勢を、これからも忘れずにいたいと思っています。
