公開日 2022年8月26日 最終更新日 2023年12月14日
先天性心疾患者にとって、「一般企業で働くこと」は健常者よりもハードルが高いことも…。なぜなら、病気が目に見えないため、理解されにくく、面接で不採用となってしまうことが多いからです。
そして、採用となっても、その先にある「雇用の定着」という壁に苦しむことも少なくありません。そうした障壁は、一体どうしたら取り払うことができるのでしょうか。
執筆:古川 諭香
フリーライター。単心室・単心房のため3度の手術を経験。根治は難しいものの、フォンタン手術後、日常生活が普通に送れるように。愛猫の下僕で本の虫でもある。(Twitter:@yunc24291)執筆記事一覧
【目次】
- 「フォンタン手術」によって生かされた単心室症の私
- 大量の「不採用通知」で自分を嫌いになった
- バイト先でスカウトされて事務員になったが…
- 定期健診で休暇を貰うのが申し訳ない
- 持病を同僚に伝えられずに孤立して退社
- フリーランスになった今でも憧れる「正社員」という働き方
- 障害者に優しい会社は「もしもの事態」があった時に安心できる企業
「フォンタン手術」によって生かされた単心室症の私
私は正常な血液循環とならず、ひとつの心室に負担がかかる「単心室症」や右心房と左心房の間に壁が存在しない「単心房症」という心疾患、さらに「無脾症候群」や「肺動脈閉鎖」など、心臓病から起因する病気を多数抱えています。
そのため、生後間もなく、「BTシャント術」という手術を受け、そのあと、「グレン手術」をしてもらいました。しかし、それでもSpO2(酸素飽和度)は78%ほど。息切れしてしまうため、スーパーの中すら満足に歩けず、階段は5~6段ほどで心臓が悲鳴をあげていました。
けれど、小学4年生のとき、私の病気では最終的なゴールだと言われている「フォンタン手術」を受けたことで世界が一変。この手術で病気を根治することはできませんが、SpO2は95%以上となり、健常者と同じような日常生活が送れるようになりました。
息苦しさを感じることなく行きたいところに行けて、階段を登っても苦しい思いをしない。そんな当たり前のような尊いことに大きな喜びを感じながら、私は中学生、高校生、大学生と大人への階段を登っていったのです。
大量の「不採用通知」で自分を嫌いになった
しかし、成長するにつれて、不安が…。社会で働き、自立できるのだろうかという想いが頭をよぎるようになりました。親は同じく心臓病の子どもを持つ母親から「就職が難しい」という話を聞いていたり、自身が役所で障害児福祉手当を申請しにいったときに担当者から「そんなにも金がほしいのか」とあざ笑われて障害者に対する世間の冷たさを実感したりしたため、私の就職や結婚を諦めており、「あなたのことは、いつまでも私たちが面倒みるから」と言ってくれましたが、私はいつまでも親のすねをかじるのは嫌でした。
だから、ハローワークに通い、障害者雇用枠での募集に応募。正社員雇用を掴み取ろうと努力しました。
しかし、目に見えない持病を面接で理解してもらうことがなかなか難しく、普通に日常生活を送れることを採用担当者に伝えても信用してもらえず、採用されない日々が続きました。中でも、一番心にグサっときたのが、地元の銀行へ面接を受けに行ったときのこと。
ここでも、他の企業と同様に「階段は登れるのか」や「社内ではどれくらい歩けるのか」という質問を投げかけられたため、日常生活が普通にできる私は「全てできます」と返答していました。
しかし、面接官から「あなたの病気は車椅子の人のように目に見える病気ではないから、言っていることが本当なのか判断しにくい」と告げられました。
私は大量の不採用通知が届く中、自分のできることをどうやって証明すればいいのだろうと悩むようになり、自暴自棄に。
やがて、「正社員雇用」というハードルの高さに打ちのめされ、就職活動を断念。もともとしていたコンビニのアルバイトに注力し、現実逃避するようになっていきました。
バイト先でスカウトされて事務員になったが…
そんなある日、夢のような出会いが。コンビニでのアルバイト中、同僚に「本当は正社員で働きたいけど、どこも受からなくて…」とぼやいていたとき、レジにやってきた年配女性から「よかったら、うちの会社で事務員してみない?」と声をかけられたのです。
聞けば、職場はアルバイト先の近くにある工場。怪しいのではないかと思う自分もいたけれど、「正社員として雇う」と言われたため、心が動き、一度話を聞きに行くことにしました。
面接当日。会社に着くと、社長と社長夫人(専務)がスタンバイ。私に声をかけてきた年配女性は、会社を立ち上げた会長の奥さんでした。
会社は従業員が3~4人程度で、家族経営。これから従業員の数を増やし、事業に力を入れていきたいと思っていたようで、一家全員、私の採用に前向きな姿勢を示してくれました。
けれど、私は事前に持病があることを話せておらず…。そのため、障害を伝えたときの反応に不安を抱いていました。障害を持つ人の中には理解のされにくさから、持病を隠して働くケースも多いもの。私の頭にもその考えが浮かびましたが、健康診断でバレると揉めそうだと思ったため、正直に話すことに。
すると、みな一瞬、戸惑ったものの、「普通の生活はできるみたいだし、アルバイトもできていたから大丈夫でしょ!」と言ってくれ、私を障害者枠ではなく、一般雇用枠として雇用してくれました。
スカウトという部分を考慮しても、実際に働いている姿を見てもらえていたら、「普通に働ける」ということが、こんなにもすんなり理解してもらえるのか…。採用時、そんな驚きを感じると同時に自分が障害者としてではなく、ひとりの人間として見られ、必要とされたような気がして嬉しさを噛みしめました。
定期健診で休暇を貰うのが申し訳ない
ところが、実際に働き始めてみると、どうしても健常者のようにはいかない部分が…。たとえば、月1回の定期健診。私が通っている病院は地元で一番大きいため、待ち時間が長く、定期健診時は検査がいくつもあるため、通院日は半日だけ出社することも難しく、休暇をもら貰っていました。
しかし、通院の翌日は溜まっている仕事に追われてしんどくなったり、同僚から「昨日いなかったから、困ったよ」と冗談っぽく言われて罪悪感に駆られたりするように。休むことや健常者と同じように出勤できないことが申し訳なく思えてきたため、主治医に相談し、通院の頻度を3ヶ月ごとに変更してもらうことにしました。
持病を同僚に伝えられずに孤立して退社
私が入社したあと、会社には続々と社員が増えていき、従業員数はいつしか数十人に。それに伴い、持病を同僚に説明できる機会が失われていき、通院の翌日などに「この前、休んでいたけど、どうしたの?」と聞かれることが増えていきました。
その度に持病があることや日常生活は普通にできることを説明しようとするも、就業時間中の雑談という限られた時間の中では十分に伝えることができず…。病気を正しく理解してもらうことが難しくなっていきました。
そうした日々が続いた結果、私は「無理をさせてはいけない子」「なるべく動かしてはいけない子」と同僚から思われるように。その気遣いは優しさから生まれたものであるけれど、重いものを持つなどのサポートをしようとすると、「何かあったら責任が持てないから手を出さないで」と言われるようになり、孤立していきました。
また、会社の飲み会で社長がついでくれたお酒をあまり飲めなかったことも、孤立する原因に。私は少量のアルコールで動悸がして、心臓が苦しくなってしまうため、就社後、初めて開かれた飲み会では体調を考慮し、お酒に手を付けませんでした。
しかし、「大量には飲めない」としか伝えていなかったため、「少量ならOK」だと捉えられてしまい、飲み会の場では専務や会長夫人から「一口くらいいいでしょ?」「せっかく社長がついでくれたんだから」などと言われ、結局ちびちびと飲むことに。
けれど、その姿は社長からしてみれば面白くなかったようで、いつからか他の従業員よりも冷たく扱われるようになっていきました。
会社の歯車にすらなれておらず、アットホームな社内で自分ひとりだけ浮いている…。そんな疎外感を募らせた私はやがて制服に手を通すだけで涙が出るほど心が限界になり、退社することとなりました。
フリーランスになった今でも憧れる「正社員」という働き方
それでもどうにかして自力で生きていきたかった私は「フリーランス」という働き方を選び、なんとか自分を養っていけるようになりました。けれど、いまだに「正社員」という安定した雇用形態に憧れはあります。
目に見えない先天性心疾患という病気を理解してもらい、長期雇用されるのは、いまの社会ではなかなか難しいもの。たとえ、障害者枠で正社員になれたとしても、企業に助成金が支払われるという仕組みに対して、「なんだかお金ありきで雇用されているみたい」と抵抗感を覚えたり、自分のスキルを活かせる職やしたい仕事に就けていないと、もどかしさを感じていたりする人も多いと思います。
そうした現状を変えるには、まず当事者と企業が互いに努力し、歩み寄っていくことが大切。当事者はまず、自分の病気を伝えることを諦めないことが大事だと私は思います。
面接の場や働く中で、持病や障害を理解してもらえないともどかしさが募るけれど、自分はどういったことができ、何が難しいのかを自分の口から周囲に説明することが、障害者と健常者の溝を埋めるきっかけになるはず。
個人的には傷ついた経験を公にすることも、当事者の大事な役目だと考えています。勇気がいるけれど、伝えられる人が伝えられるときに、職場で不当な扱いを受けた話や働く上で障害をハンデに感じたエピソードなどを周囲に共有することで、企業側が障害者の働きやすい環境について考えるきっかけが生まれるのではないでしょうか。
そして、企業側には「見えないから分からない」ではなく、「見えないことも理解したい」と、障害がある人でも働きやすい社風・制度を考える機会を設けてもらえたら嬉しく思います。
たとえば、私の場合なら面接時に口頭で「できること」を確認し、半信半疑のまま終えるのではなく、実際に一緒に勤務先となるフロアへ行ってみたり、階段を昇り降りる姿を見たりして、当事者が「本当にできること」を確認してもらえたら、もどかしさは軽減したかもしれません。
また、定期的な通院が必要な場合は、通院したことが分かる書類を提出すれば、有給消化されないなど、通院しやすい制度もあると、当事者としてはありがたく思います。
障害者に優しい会社は「もしもの事態」があった時に安心できる企業
こんな風に障害者理解がなされている会社は障害を持つ人だけでなく、健常者の未来を守ることにも繋がっていくと、私は思っています。なぜなら、いま健康体であっても自身の身にいつ・なにが起きるかは誰にも分からないからです。
そうした“もしも”の時、企業が障害に対して理解を持っていてくれたら、持病を抱えたあとも安心して勤め続けられ、会社は「頼れる味方」に思えるはず。
障害者に歩み寄り、会社の仕組みや雇用を考えていくことは健常者にとっても未来の自分を守る工夫に繋がるからこそ、企業側と当事者は互いに歩み寄りながら、面接の仕方や就職の先にある「雇用の定着」を考えていきたいものです。