リアルな体験を公開!先天性疾患を持って生まれた「私」の治療記録

公開日 2022年11月1日 最終更新日 2024年4月10日

先天性心疾患を持って生まれた人は、どんな治療を乗り越えてきたのか…。心疾患者と関わる中で、そんな疑問を持った人に向けて、今回は単心室・単心房症の私が受けた手術や治療を紹介。心疾患を理解する、ひとつの情報として役立ててみてください。

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執筆:古川 諭香

フリーライター。単心室・単心房のため3度の手術を経験。根治は難しいものの、フォンタン手術後、日常生活が普通に送れるように。愛猫の下僕で本の虫でもある。(Twitter:@yunc24291)執筆記事一覧

【目次】

生後間もなく2回の大手術を経験

私は姉よりも50g大きく生まれたのに、ミルクの飲みが悪く、両親は心配していました。そこで、ある日、住んでいる市町村の役場で保健師に相談。大きな病院での検査を勧められ、地元の市民病院へ行くことになりました。

その結果、先天性心疾患であることが判明しました。私の病気は、単心室・単心房症。本来なら、4つある心臓の部屋のうち、左心室と右心室の区別がなく、心室がひとつになっているという病気です。

また、私は免疫機能をつかさどっている脾臓がない「無脾症候群」であり、「肺動脈閉鎖」など心臓から起因する肺の異常もたくさんありました。

命を紡ぐため、私は生後数か月で、肺血流を増やす目的で行われる「BTシャント術」を受け、その後、上半身から戻る血液と肺動脈をつなげる「グレン手術」を受けることになりました。

しかし、手術をしても、SPO2(経皮的動脈血酸素飽和度)は70前後。チアノーゼは消えず、週末、両親とスーパーに行っても、店内を歩くだけで息切れしていました。

そんな状態であったため、階段は登れず。小学校では通常であれば3階であった1年生の教室を、私の入学に伴って1階に変えてもらい、移動教室での授業などで階段を登る必要があるときは担任の先生におんぶをしてもらっていました。

誰かに頼らなければ、自由に行動ができない。そのもどかしさが、子どもながらにとても辛かったです。

小学4年生で受けた「フォンタン手術」で人生が変わった

単心室・単心房症の根治手術は、いまも確立していません。しかし、単心室・単心房症の人には目指すゴールがあります。それは、「フォンタン手術」を受けることです。

「フォンタン手術」は、心室がひとつしかない心臓病に対して行われる手術。同じ病気の人たちにとっては、最終的な手術だと言われています。

ただし、手術を受けるのには心室の機能が十分であることや、肺に血液が流れやすい状態であることなど、いくつかの条件を満たす必要があり、全員が実施できる手術ではありません。

私も、なかなか条件をクリアできませんでした。周りの同じ病気の子は、2~3歳くらいでフォンタン手術を受けることが多かったのですが、私は小学4年生の頃にようやく受けることができました。

そして手術のため、休学。入院期間は3か月にも及びました。術後しばらくは首や両脇、胃のあたりにドレーンがつけられ、身動きができない状態。1か月間、ベッドに寝たきりだったため、歩けなくなりました。

また、厳しい水分制限と食事制限に苦しめられ、好きなものを自由に食べられる尊さを知りました。食事制限の中でも、特にきつかったのが、卵の黄身を食べられなかったこと。私の食事は特別食で、うどんを白身で固めるなどの味気ないものばかり。単調な味に飽きてしまい、よく食事を拒否し、看護師を困らせていました。

手術によって、私の胸の中央には首下から胃のあたりくらいまでの大きな傷跡が残りました。目立つ傷跡が残ってしまったことは正直、悲しかったです。しかし、術後、自分の体に起きた変化を受け、手術痕が残ってもやるべき手術だったと、傷跡を前向きに受け止めることができるようになりました。

まず感動したのが、チアノーゼがなくなって常に紫色だった爪や唇がピンク色になったこと。嬉しくて、何度も鏡を見ました。そして、誰かにおんぶしてもらわないと登れなかった階段が、自分の足で登れるようになったことも本当に嬉しかったです。歩行のリハビリを受け、歩き方を思い出したあと、初めて階段の一番上まで自分の足で行けたときの喜びはいまでも忘れられません。

術後は、服用する薬の量も変わりました。それまでは、朝と晩に2種類の薬を飲んでいましたが、朝のみの服用となりました。低かったSPO2の数値は、健常者とほぼ変わらない100~98に。退院後、以前は歩き回れなかったスーパーの中で、息切れせずに店の最奥まで行けたとき、泣きそうになりました。

現在、私のSPO2は95程度と、術後まもない頃に比べると徐々に低くなってきており、弁逆流も目立つようになってきました。まだ、手術を検討する段階ではないものの、将来的には弁逆流に対する何らかの処置をしなければなりません。

フォンタン手術は病気を完治させるための手術ではないので、新たな異変が現れたときにはその都度、手術や投薬治療などで対処していかねばならない点が歯がゆいです。

しかし、個人的にはこの術式が確立されたことや手術を受けられたことを、とてもありがたく思っています。なぜなら、この手術のおかげでできることや行ける場所が増え、私の日常と人生は豊かなものになったから。

ただ、疲れやすい、走るとすぐに息切れする、歩くスピードが遅いなど、健常者と同じようにできない部分もあるので、そうした点は周囲に理解してもらえるよう、努力していきたいと思っています。

体験を伝える&知ることは障害者理解への第一歩になる

今回は私が経験してきた手術や治療を紹介しましたが、心疾患者の治療経過は人それぞれです。そのため、自分が関わっている相手の治療経過や現在の症状などを詳しく聞き、理解した上で、必要な配慮やサポート法などを考えていける人が増えてほしいです。

また、当事者は自分がこれまで受けてきた手術や治療、そして現在の状態を相手にちゃんと伝え、理解してもらえるように努力していくことが大切です。そういう、いいサイクルが当たり前のものになれば、心疾患者を取り巻く社会はもう少し優しくなるのではないでしょうか。

私の体験談を通して、自らの体験を伝えることや誰かの人生を知ることの大切さを少しでも感じてもらえたら嬉しいです。

※はとらくでは、完全無料でキャリア相談を受け付けています。ぜひ、ご相談ください。

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フリーライター。単心室・単心房のため3度の手術を経験。根治は難しいものの、フォンタン手術後、日常生活が普通に送れるように。愛猫の下僕で本の虫でもある。(Twitter:@yunc24291)