公開日 2023年9月21日 最終更新日 2023年11月11日
私は先天性心疾患を持つ社会人ですが、幼少期や学生時代はあまり病気を自覚することなく過ごすことができていました。
周囲と全く同じことができていたわけではありませんが、その中でも特に不便さや不自由さを感じることはなく、この先も心臓が悪いながらも、少し気をつけていれば周りと同じように生活できるのだろうなと思っていました。
しかし、社会人になってから健常者との違いを、日常生活のいたる部分で実感することになり、自分が先天性の心疾患を持っているということを改めて認識しました。
そのうえで社会と関わって生活していくということはどういうことなのか、そのためには何が必要なのかということを自覚して考えるようになりました。
今回は私がなぜ社会人になるまで病気を自覚することなく過ごせていたのか、そして自覚するきっかけは何だったのか、自覚後にどう自身の考え方や行動が変化したのかをお伝えしたいと思います。
執筆:aoi
単心室などの先天性心疾患を持ち。環境の変化や年齢を重ねていく中でも、病とうまく付き合いながら生活することを心がけています。好きなものは和食、音楽、読書。執筆記事一覧
【目次】
あまり自覚することなく過ごせた子供時代
冒頭でも述べましたが、私は幼少期や学生時代は自分の病気をあまり実感することはありませんでした。
運動制限があり、疲れやすいことはありましたが、幸いにも病状は落ち着いており、運動制限についても元来運動が好きではなかったので、体育の見学は一抹の寂しさを感じながらも、そのことで落ち込んだり、不自由さを感じることはあまりありませんでした。
その時はそれが当たり前の日常だと思っていましたが、今思えば、身体の調子が良かったのも、精神的にもあまり辛くならずにいられたも、家族の細かいケアがあり、周囲の人たちも私の病気を理解してくれていたからだと思います。
家族以外の友達や先生も私の病気を理解してくれていたので、既に私の状態を知っており、理解ある人々との関わりがほとんどで、見ず知らずの人に一から病気を説明する必要性があまりありませんでした。
そういった人々の中で生活を送ることで、無理をしないということが当たり前のようにできていました。自分のキャパシティー以上のことを行う必要がなく、体力的にも精神的にも無理をする環境にいなかったため、自分が大きな病を持っているということを実感する機会がありませんでした。
また、当時から定期的な大学病院への通院は行っていましたが、先生との面談、病状の把握、体調や薬の管理など、病気に関することは親が全て管理してくれており、私は自分の症状や病気の詳細を積極的に医師と話すことも、話す必要性も感じていませんでした。
自分事として捉えることができていなかったのだと思います。
社会の一員となり自覚する
そんな私も就職活動という人生のイベントを迎えました。そして、それが自分の障害と向き合わなければならない最初の場面だったと思います。
まず第一に、就職活動を始める前に健常者と同じような枠で就職活動をするのか、それとも障害者枠を使って就職活動をするのかということをまずは決めなければなりません。
その段階で、自分は健常者と同じようなペースで働けるのかどうか、障害者枠という中で仕事を選んだ方がいいのかを、自分の今までの経験や病気の状態を通して決断する必要がありました。
その体感や感覚、経験は親ではなく自分でなければわからないものです。そのためには、自分の体の調子や病気を客観的に見る必要があります。
そして就職活動中は自分の病気を周囲にしっかりと具体的に第三者に伝える必要性に直面しました。今まで周囲に体力的にできないことは伝えることがありましたが、「走れない」「疲れやすい」といったざっくりとしたことではなく、何ができるのか、何ができないのかを具体的に伝えることは初めての経験でした。
ただ単に「疲れやすい」「走れない」ということだけでなく「どういったことをやると疲れやすいのか」「早歩きもだめなのか」「走った時どういった症状がでるのか」といった、自分が今まで生きてきた中で、感覚で把握している事柄についても、具体的な説明や数字を用いて伝えることが必要でした。
外見から判断しづらい内部疾患を持つ場合、相手に病気について理解してもらうためには、具体的な数字の重要性を学びました。
働き始めてからの変化
働き始めた当初は、学生時代も周りと同じ行動はそれなりにできていたという過去の経験から、周りに合わせて働いていました。
主治医に残業は避けるようにと言われていたにも関わらず、「頑張らなければ」という思いや、「学生時代は大丈夫だった」と過去の経験を持ちだして無理をしてしまい、結果的に体調を崩してしまいました。
今までは同じようにできたのに、自分もできると思っていたのに、と過去の出来事ばかり振り返り、健常者とは違うという現実を改めて突きつけられてショックを受けました。
出来ない現実に直面し、知らない自分に出会ったようでとても動揺しました。そして、こんな自分は社会に出て働くことは不可能なのではないかと思うようになりました。
しかし、嘆いていても病気がなくなるわけでもありません。この出来事を通して、無理をすると自分の体はどうなるのかということを、学生時代よりも、より具体的に知ることができました。
そして学生と社会人の生活の違いを認識したことで、病気とどのように付き合っていけば、社会の一員として生活していくことができるのかということを真剣に考えるようになりました。
体調を崩して良かったとは言えませんが、あの出来事によって、私は自分の病気をもっとよく知ろうと思うことができ、自分の体調にも気を配る習慣ができはじめました。
今まで何となく受けていた定期検査も、自分の体調をより詳細に主治医に話すことが増えました。
まとめ
子どもの頃や学生時代は、親や周囲のサポートのおかげでマイペースに無理なく過ごすことができており、あまり病気を自覚する必要がありませんでした。
しかし、社会人として社会に出ていく時に、自分のことを全く知らない人に自分の病気を説明する必要性が生じるようになりました。
そこで人に合わせて行動する必要性が増え、それと共に自分が病気を持っていること、できないことがあるということ、無理をするとどうなってしまうのかという、今まで直面しなかった現実に向き合う必要性がでてきたことが、私が自分の病気を自覚する大きなきっかけだったと思います。
その現実を受け入れることができたとき、自分の体をもっと労わったり、病気を持ちながらもどう生きればいいのかと、前を向くきっかけになると思います。