公開日 2024年8月12日 最終更新日 2024年8月12日
出来たことが「出来ない」に変わっていく怖さ。
ICD植え込み決定後わたしは、これからの生きる道を『いばらの道』として決めつけていました。術後は回復期を経て退院し、いつもの暮らしに戻っていくのです。
自分が変わってしまうことで見えてくる怖さ、普通の暮らしが大きな壁となって立ちはだかりました。それが、あることをキッカケに変わっていく心の動きや植え込み術のリアルな体験をまとめました。人生の分岐点ともいえる体験談を最後まで読んで頂けると幸いです。
執筆:はらぺこママ
ファロー四徴症・肺動脈弁閉鎖不全で2度の手術を経験。現在、弁置換とICDを挿入。Voicyにて「暮らしが好きになるラジオ」を配信中。フードデリバリーの配達員、フリーで在宅勤務をする小学生のママ。GLAYファン。(Voicy:voicy.jp/channel/3906) 執筆記事一覧
【目次】
ICD植え込みまでの気持ち
ICD植え込みまでの間に、弁置換の開胸手術も行いました。気持ちはまな板の上の鯉です。全身麻酔だったこともあり、1週間ほど疲労と眠気でウトウトしている時間が多かったです。
だけどこれで終わりじゃない、まだ残ってる。ICDという機械を植え込むんだ。ICDを植え込むと、当然日常に制限が出てきます。体組成計に乗れない、防犯装置には近づかないなど、特に電子機器に対して反応が出てしまうので注意が必要とパンフレットにも記載がありました。
植え込み10年経った今となっては「ある程度気を付けることはあるけれど普通に暮らしてるよ!」と笑顔で言えますが、その時は日常すべてが変わってしまう怖さしかありませんでした。弁置換より私はICD植え込みの方が精神的に負担が大きく、スマホで検索ばかりしてました。
しかし、ICDを植え込みブログやSNS発信してる方は少なく自分が得たい情報が得られずやきもきしていました。そんな時、母から一通の手紙を渡されました。”直接話したいけれど、余計なことも言っちゃいそうだから手紙にしました”と書かれた長い長い母からの手紙。そこには「できなことより出来ることに目を向けて」の文字が・・・。
私はこの手術が終わった後、すべてが終わってしまう感覚に陥っていました。しかし現実はずっと入院をしているわけではなく、退院しいつもの暮らしに戻っていきます。仕事も復帰予定でした。
これからも生きていくしかないのです。ならば、助かった命なのだから母のいう通り「できることに目を向けて」生きていこう!と、そこでようやくICD植え込みの覚悟ができました。今でも手紙は大切にしてます。自分が迷ったとき手紙を読み「できることにめをむける!」と自分に言い聞かせて暮らしています。
ICD植え込み術~術後
ICD植え込みはカテーテルと同じように足の付け根から管をいれ、鎖骨下を切開しICDを入れるポケット作ります。小さいころから何度もカテーテルはやっていると両親から聞いていましたが、幼少期の記憶はなくつい先日受けたカテーテル検査の記憶が鮮明でICD植え込みの前は先生に「全身麻酔にならないか?」と相談していたくらいトラウマになっていました。
全身麻酔にはなりませんでしたが、途中から眠らせてくれたおかげで痛みはそれほどではありませんでした。「終わったよ 気分は大丈夫?」と元気な看護師さんの声で目が覚め、病室に戻る途中でした。母が立ち上がり、わたしに手を振りわたしはピースで答えました。
そして「あ~わたしは変わってしまった。植え込んじゃった」と思いました。少しずつ麻酔が取れ、それと同時に痛みが出てきました。左腕が上げられない。力をいれると痛い・・・いつもできる動作ができない。退院は10日後・・・こんなんで日常生活戻れるの?と思いつつ術後翌日からはじまるリハビリ。
先生からは「ICDは少しずつ身体になじんでくるから大丈夫だよ。」と言われました。なじむとはどんな感じなんだろう・・・。今は痛みしかないのにどう変わっていくのだろう・・・。
切開しているので、もちろん無理に動かすのは怖くてできませんでした。できる範囲で動かし、動作も自然にゆっくりになりました。術後10日での退院でしたが、そのころにはキズの痛みはだいぶ引いており少しずつ日常を取り戻していけそうな感じがしていました。
【関連コラム】
- ある日突然記憶を失い、そしてあっという間にかICD植え込みが決まってしまった
- ある日突然、我が子に心臓病があると告げられた!~母の想いも聞いてください〜
- 周産期心筋症の発症から10年。いつかまた、心不全を引き起こすかもしれないという不安との向き合い方
退院後の生活
約1か月半の入院生活を終え、太陽がギラギラと照る外の世界へ。9月とはいえ、まだまだ気温が高く「暑いな」と想いながら迎えにきてくれた両親の車に乗りました。
ひとり暮らしをしてる家に戻らず、しばらく実家で静養させてもらえるのは大変ありがたかったです。入院生活で体力も落ち、日常の行動すべてがいつもと違う疲れがすぐに出てきました。めまいや吐き気、倦怠感が波のように押し寄せ、ICDという異物を身体が拒否してるようにも感じました。お店ひとつ行くにも、ICDに影響がある”防犯装置”が気になりお店の前で立ち止まってしまうこともしばしば。暮らしは一変し、全て自分の敵と思ってしまうほど落ち込んでしまいました。
そんな時わたしの力になってくれたのが、甥っ子くん。義理の妹がたびたび実家に連れてきてくれました。まだ0歳の甥っ子ですが、日に日にできることが増えていくのが楽しく”わたしもゼロからスタートするつもりで暮らしを紡いでいこう”と思えました。
その日から小さなステップの開始です。まずは家のまわりを散歩するところからはじめました。買い物も母の荷物持ち担当で外に出る機会を増やしました。1人暮らしの自宅にも行き、少しずつひとりで暮らす日数を増やしていきます。
体調の変動が激しく起き上がれなくなってしまったときは、迷わず外来へ向かい先生に相談をしていました。私の中でもたった1か月の間に”弁置換術”と”ICD植え込み”をしたのだから身体がついていかないのは当然と思えるようになりました。自分で”わたしの大改造期間”と称して少しずつできることを増やしていきました。
その後3か月で復職、体調の変化は数年かけて少しずつ落ち着いていきました。身体が一生懸命今に適応してくれたことに感謝しています。
周りの支えが大きな力になる
短期間で身体の中が変わってしまい、不安に押しつぶされそうになった時期もありました。
母からの手紙、そして甥っ子くんの成長する力に支えられ、わたしも乗り越えることができました。また、私の異変に気づき駆け付けてくれた今の夫にも感謝をしております。思い描いた未来が病気によって変わってしまう。それはとても不安で絶望にも似た気持ちだと思います。ただ、そこで終わりではないのです。いつもの暮らしが待っています。
今回の手術で、身体や心はたとえ時間がかかってもきちんと適応してくれるとわかりました。この記事がどなたかの心の支えになれば嬉しいです。