22歳当事者と親の立場から見る僧帽弁閉鎖不全症手術記録~コロナ流行下の手術〜

公開日 2024年10月25日 最終更新日 2024年10月25日

22歳ABLEとその母あゆです。前回記事では、息子が「僧帽弁閉鎖不全症と診断されてから重度判定を受けるまで」について、また、患者の母としての心情も書かせて頂きました。

今回は「重度判定から手術」について時系列に沿って振り返っていきます。

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執筆:ABLE&あゆ母

あゆ母のひとり息子ABLEは、高校入学時の健康診断を機に、僧帽弁閉鎖不全症と診断。大学在学中に重症化し、開胸手術を受ける。親子共に文章を書くことが好き。執筆記事一覧

【目次】

  • 手術の方針という重い選択と入院準備(母記)
  • 手術入院から手術当日まで
  • 寄り添ってくれる存在が頼りになった

手術の方針という重い選択と入院準備(母記)

大学2年生だった2021年秋に、定期検査によって重度と判定されました。重度と判定されても、手術までの間は薬も何も処方されることはありません。日常はまさにそれまでと変わらないものでした。

2年生の冬休みから手術に向けて動き出すことになりました。循環器内科から転科した心臓外科では、僧帽弁閉鎖不全症という病気について、また、どのような手術をするのかについて、心臓のイラスト動画を使って、詳しく丁寧に説明して頂きました。20歳という年齢で手術が必要になるような僧帽弁閉鎖不全症は、年に何例もあるものではないそうです。でも、年齢が若いからこそ、手術の方法を熟慮する必要があるとのことでした。

身体が大きいことや弁の状態から、胸を20cm程開いて行う開胸手術以外の選択肢はないとのことでした。ですが、決めなければならないことはまだまだありました。自分の弁を修繕する「弁形成術」では10年後の再発率が20%あり、しかも、若いのに症状が出る状態になっていることと心エコーなどの画像から見ても、元々の弁を使って「弁形成術」をできるかどうかも怪しく、手術で開いてみて、急遽「弁置換術」に変更になる可能性も考える必要があるということでした。

もし弁を人工弁に取り換える「弁置換術」になる場合は、人工弁にも、豚のものを利用した「生体弁」と、カーボン製の「機械弁」があるのですが、息子の場合は若いので「機械弁」を勧められました。「生体弁」は3か月ほど血液をサラサラにするためのワーファリンを飲む必要がありますが、それ以降は不要になります。とはいえ、弁の耐久性が10~15年程度なので、再手術の必要があるそうです。それに対し「機械弁」なら、ほぼ永久的に使えるますが、ワーファリンを一生飲み続ける必要があり、3日以上飲み忘れたら血栓ができてしまう危険があるので命に係わってしまうことや人によっては機械弁が閉じる音を感じる場合があることも話がありました。

僧帽弁閉鎖不全症は50~60代以降で手術になる人が多いそうですが、息子は20歳。60年先の未来までを考える必要があるので、総合して今回は「機械弁」の「弁置換術」が適しているんじゃないかという先生のお話でした。あまりにも重く大きな選択が必要になり、親子で沈みました。心臓外科の先生は「ぱって入院して、ぴゅーって手術して、で、さっと元気になって、退院できるようにしましょう」とあっけないくらいに軽く仰ってくださいました。先生の経験と知識からくる言葉なのだろうととても心強く感じました。

手術の方法について決めなければならない中でも、手術入院の準備は進んでいきました。医事課との事務的な手続き、看護師さんとの入院生活に関すること、ワーファリンを飲むことになるので歯科検診の指示もありました。

それぞれの心情

【息子記】

手術について説明を受けた際は、半ば自暴自棄のような状態であった。機械弁だろうが生体弁だろうがもうどうにでもなれ、という心持ちで説明に臨み、機械弁移植を選択したが、手術中の先生の判断で弁形成術へと変更になった。今にして思えば、弁形成術で良かったとは思っている。

【母記】

「生きているよりも大事なことなんてない」

息子氏の心臓病の悪化を知って、今生きていることの奇跡を思うようになりました。今では医療も進歩していて心臓病も治る病気になってはいるのだけど、親よりも子が長生きするのは当たり前では無いのです。 人は誰しも明日死ぬ可能性がある。無事に生きて明日を迎えられる奇跡に感謝しつつ、あわよくば治らないかなぁと願ったりもしました。そんな甘いことが起こるわけがないのですが。

「どうしてうちの息子なの?何か悪いことした?」とも思ってしまうこともありました。「まだ症状もほとんどなくほぼ元気に過ごしているのに、今敢えて手術をして余計に具合が悪くなってしまうことはないのだろうか」という複雑な心境にもなりました。

手術の方針については母なりにいろいろ調べて勉強しましたが、結局のところ、これからの長い人生を生きる本人にしか決められないと思いました。20歳という若さでこれほどまでに重い決断をさせざるを得ないことにはただただ申し訳なく、後悔の無い決断になるよう見守ることしか出来ませんでした。

手術入院から手術当日まで

いよいよ手術(母記)

コロナ流行の真っ只中、大学3年生の春休み中である2022年3月の始めに、手術のための入院をしました。面会は、手術前日の最終説明時と、手術日とその翌日の別室での泊まり込みだけ許されました。あとは電話かSNSでのやり取りしかできませんでした。

手術までの3日間は検査続き。手術前日に、母も含めての最終説明がありました。人工心肺装置と人工呼吸器を使うこと、手術中のリスク、手術後2~3時間後から翌日までのリスク、1週間後のリスク、について話がありました。

悩みに悩んだ術式については、主治医の提案により「「弁形成術」の予定で開けてみて、状態を見て「弁置換術」を機械弁で」という判断になりました。主治医から「今から10年経てば、手術の方式も薬もいろいろ開発されているだろうし、その可能性に賭けてみてもいいかもしれない。そもそも、弁形成術は10年前には殆ど普及していなかったし、もっと前だと心臓の手術なんてとんでもないという時代もあった。その流れを考えると、10年後にはロボット手術が普及しているだろうし、もっと違う方法や薬が開発されているかもしれない」というお話を頂き、息子が「もしもの時の10年後のことは30歳の自分に任せる」と言うので決めました。

手術当日。9時に点滴をしながら車椅子で手術室へ移動。10時に手術開始。予定通り、13時に終了。

息子の心情(息子記)

手術前日の夜からは絶食のため、空腹感に苛まれた。当日の朝には点滴をつけられたため、針の痛みと違和感でそれどころではなくなったのが救いと言えば救いであった。

特に問題なく手術は完了したが、手術中に意識だけが覚醒し、痛みこそなかったものの体内をまさぐられる感覚を味わった。成程『痛くない腹を探られる』とはこの事かと阿呆なことを思っていたのを覚えている。その後は麻酔の影響で意識を失い、再び意識が戻ったのはICUに移されてからであった。

母の心情(母記)

コロナ流行下だったため、生死に関わる大きな手術なのに、手術の直前の手術室までの道のりしか一緒にいてあげることができませんでした。いや、一緒にいたからと言って何ができるというわけではないのですが、一緒にいてあげることさえも出来ないのは、親の無力さをまざまざと感じさせられている気がしました。

病気平癒の御守りばかりを3つ購入。母には、神頼みをしてお守りを買うくらいのことしかできないんですよね。ほんと、何にもできないのです。できることは祈るのみなのです。

寄り添ってくれる存在が頼りになった

手術入院の前には、入院準備だけではなく、手術の方針を決断しなければならないという重い選択が待っていました。まさか素人の自分たちが決断しなければならないとは思っていませんでした。

主治医の先生がとても丁寧に説明してくださった上に、「手術までの間にまだまだ悩んでもいいし、聞きたいことがあればいつでも診察予約を入れてもいいし、手術の前日の夜までに決めればいいよ」と言ってくださったことがとても有難かったです。

あゆ母のひとり息子ABLEは、高校入学時の健康診断を機に、僧帽弁閉鎖不全症と診断。大学在学中に重症化し、開胸手術を受ける。親子共に文章を書くことが好き。