22歳当事者と親の立場から見る僧帽弁閉鎖不全症手術記録~手術後から回復まで〜

公開日 2024年12月11日 最終更新日 2024年12月11日

僧帽弁閉鎖不全症の22歳ABLEとその母あゆです。

前回記事では「僧帽弁閉鎖不全症の重度判定から手術を受けるまで」について書かせて頂きました。今回は「手術後から回復まで」を振り返っていきます。

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執筆:ABLE&あゆ母

あゆ母のひとり息子ABLEは、高校入学時の健康診断を機に、僧帽弁閉鎖不全症と診断。大学在学中に重症化し、開胸手術を受ける。親子共に文章を書くことが好き。執筆記事一覧

【目次】

手術直後

長い長い1日(母記)

10時から始まった手術は、13時に終了。予定通り3時間で終了。14時にICUに移動。14時過ぎに手術終了後の面会が出来ました。主治医より、僧帽弁は全体的に傷んでいたけど「弁形成術」ができたという報告を頂きました。真っ白な顔をして眠っていたのが印象的でした。

16時半頃、人工呼吸器が外れたので再度面会。何やら声を発しているのだけど、何を言を言っているのか分からないような、うつらうつら眠りに落ちる状態でした。

息子の心情(息子記)

人工呼吸器で強制的に呼吸させられる気持ち悪さは何とも言えないものであった。とは言え数分とせずに再度意識を失ったため、しっかり目を覚ましたのはその日の深夜ごろであったと記憶している。

あまりにも喉が渇いたため、当直の看護師の方に吸い飲みに入れたお茶をいただいて飲もうとしたが、拒絶反応のように嘔吐し、その際恐らく人工呼吸器を引き抜いた際にできた傷のものであろう凝固した血の欠片も大量に吐き戻した。気道に挿入していたため当然と言えば当然ではあるのだが、それ以降自分の声も変わってしまい違和感がなかなか拭えなかった。幸いなことにそれ以降吐き戻す事は無く、寝て起きての繰り返しだがしばらくゆっくりと過ごすことができた。

母の心情(母記)

手術当日から翌朝まで、病院の家族待機室で一人で過ごしました。手術が終わったという連絡が来るまでの5時間、そして様々なリスクを聞かされた上での一晩は、とてつもなく長く感じました。

手術後しばらくしての初めての面会では、ICUで麻酔が効いた状態だったこともあって、本人は声を出そうとしているのですが何を言おうとしているのかは分かりませんでした。とりあえず手足が動いてほっとする反面、会話にならなかったゆえに不安になったことを覚えています。

手術翌日から退院まで

あっという間の退院(母記)

手術翌日。術後初めての朝食はもう普通の食事だったそうで驚きました。手術から2日後、一般病棟に戻り、SNSでのやり取りを再開することができました。手術から4日後、病棟内をゆっくりと歩けるようになったとのこと。

手術から1週間後、身体障害者手帳の申請のための診断書が出来上がり、役所へ手続きに行ってきました。結果的には3級該当となり、お陰で手術のための医療費がほぼかからずに済みました。日本の福祉制度に感謝しかありません。

手術から14日後、なんと退院!痛み止めが欠かせないながらも、思ったより元気そうでした。退院の際、怒涛の指導ラッシュ。看護師さんから無理し過ぎないようにという生活指導。理学療法士さんからリハビリのためのウォーキングを週2~3回することや3ヶ月は重い物を持ってはいけないという運動指導。薬剤師さんからワーファリンの飲み方と禁止食材に関する服薬指導。栄養士さんから太り過ぎないための食事指導、がありました。

息子の心情(息子記)

二日ほどで一般病棟に移り、そこからリハビリが開始された。ほんの数日とはいえ全く身体を動かさずにいたため、体力の衰えは尋常ではなかった。手術前には当たり前にできていた、『スタスタ歩く』という事ができず、自然と膝を固定して股関節だけで歩くような、不自然な歩き方になっていた。

また、常時下胸部からドレーンという管が二本ぶら下がり、その下の容器に自身の体液が溜まっていくという状態だったのもあって、非常に動きづらかった。しかしこれは看護師の方に頼んで首からぶら下げるポシェットのようなものを貸していただいたので、早々に苦ではなくなった。ちなみにその体液は生魚から出るドリップのような色だったという事を追記しておく。

ある程度歩くことができるようになってからは、本格的にリハビリテーションセンターでのリハビリを開始した。エアロバイクを用いたもので、初日はバテて衰えを自覚したが、退院前にもなれば呼吸のコントロールや力の入れ方・抜き方を研究するくらいの余裕はできていた。

母の心情(母記)

一般病棟に戻ってからはSNSでの連絡ができるようになり、最初の連絡は安堵が大きかったです。その後、熱が出たり、吐いたり、その都度連絡が来ましたが、どうしてあげることもできずにただ不安になっていました。リスクの山場と言われていた1週間ほどを過ぎてようやくほっとできた感じがします。

手術後2週間で退院予定の連絡が来た時は驚きました。一般的には手術後3週間程で退院すると聞いていたのですが、若さの分、回復が早かったようです。嬉しい反面、コロナ流行下での家での生活に不安がとても大きかったです。

【関連コラム】

退院後から回復まで

日常生活に戻るまで(母記)

退院後しばらくはまだ痛み止めを飲んでいましたが、リハビリということで週に2日ほど、親子で近所を散歩しました。退院直後はかなりゆっくりの速さで30分もすると疲れ果ててフラフラになっていましたが、手術から1ヶ月もすると1時間半ほど歩いても余裕があるようになってきました。

手術後1か月で、大学3年生の新学期が始まりました。しかし、まだ痛み止めが欠かせなかったことや通学時の荷物が重い上に混雑したバスでの長距離通学だったことから、遠隔授業対応をしてもらえるように大学にお願いをしました。そういう意味では、遠隔技術がコロナ流行を機に発達したことはとても助かりました。

手術後3ヶ月の時点でワーファリンは中止になり、心臓外科の診察も次は手術1年後となりました。極めて順調に回復できたのだと思います。この段階で、僧帽弁閉鎖不全症とは別の生活習慣病の治療のために循環器内科に再度転科になり、今現在も2ヶ月に1回の通院は続いています。手術後1年で、身体障害者手帳の更新には該当しないくらいに回復したため、手帳を返納することができました。

手術から2年半経った今現在は、主治医に「心臓の手術をしたことを忘れてもいい」と言われるくらい、元気に過ごしています。ただ、生活習慣病が悪化すると、僧帽弁閉鎖不全症以外の心臓の病気になってしまうから気を付けなさいという指示は受けています。

息子の心情(息子記)

退院してからは自転車に乗って遠出をするなどしていたが、当時まだ手術で切開した骨がくっついていなかったため、痛み止めが切れてからは痛みにのたうち回って夜もなかなか眠れないという日が続いた。寝返りすら打てず、寝付いてからも痛みで目を覚ますという事がしばしばあった。

幸い特に異常も無く、怪我をしたりという事も無かったため日常生活を問題なく送れるようになった。その安心感からか薬の飲み忘れが度々あるため、しっかりと薬を飲んで再発防止に努めたいと思う。

母の心情(母記)

退院してまだ体力が戻っていない姿はとても痛々しかったですが、1ヶ月もすると随分回復したので、若いうちに手術が出来たことは良かったのかもしれないと思いました。

今ではすっかり健康な人と変わらない生活を送ることができています。病院の皆さま、そして心が折れそうになっていた私を励まして見守ってくれた方々に心から感謝しています。再手術率が2割にのぼるという10年後も、元気な姿で迎えられると信じたいと思います。

日常生活に戻れることは当たり前じゃない

手術後から回復までを振り返ってみました。

あくまでも「息子の場合」の話ではありますが、今後同じような手術を受ける方の参考になれば幸いです。

あゆ母のひとり息子ABLEは、高校入学時の健康診断を機に、僧帽弁閉鎖不全症と診断。大学在学中に重症化し、開胸手術を受ける。親子共に文章を書くことが好き。