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VAD(補助人工心臓)装着後の仕事と働き方 私がVADでも働き続けたい理由

公開日 2022年9月27日 最終更新日 2024年2月18日

病気になると「当たり前に働ける」ことの尊さを思い知ります。早く退院して普通の暮らしに戻りたい、と気持ちも焦ります。一方で退院が近づくと別の心配が頭をよぎります。

「本当に働けるのか?」「どの程度の仕事ができるのか?」「クビになりはしないか」、「もし仕事を失ったら、再就職できるだろうか」「今までと同じ働き方でいいのか?」と。

ここでは、私個人の経験として、重症心不全、VAD(補助人工心臓)装着に至る、身体への意識、仕事への向き合い方、働き方の変化を、お伝えします。

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執筆:tomo-yoshi

白血病からの薬剤性心筋症。2019年に植込み型補助人工心臓(VAD)HeartMate3を装着し、心臓移植待機中。VAD装着を機に転居した東海地方で近辺の観光を楽しむ。執筆記事一覧

【目次】

VAD装着前、重症心不全での仕事

当時のことを思い出すと「ほんとによく生きていたな」と涙が出る思いです。

当時の私の症状は、

  • やっと眠れるかと思った寝入りばなに、呼吸が苦しくなり飛び起きる
  • 横になると苦しいので、壁に寄りかかって寝る
  • 胃が張って夜中気持ち悪くて眠れない
  • 話をするだけで息が切れる
  • 荷物は可能な限り少なく、できるだけ歩かない
  • 財布すら重いので現金は持たない
  • 洗濯物を干すだけで疲れる
  • 顔色が悪い

という具合でした。

心臓移植登録のための検査で、BNP(脳性ナトリウム利尿ペプチド)は1800。すぐに入院を指示するドクターに、仕事があるので調整してから入院しますと告げると、「仕事してる?信じられない」と驚かれたほどでした。

当時の仕事は主にパソコン業務で、たまに会議の運営・司会進行、特技を生かして生け花指導をしていました。座ってパソコン作業をしているのは難しくないですが、会議の準備や荷物を持っての移動は苦しく、特にエレベータのない建物は最悪でした。生け花は集中力と頭脳と体力を使う活動で、終わったあとはぐったりと疲れが出ます。

私の歩く姿を見て、大丈夫か?と声をかけられたこともあります。正直なところ、まったく大丈夫ではありませんでした。

心不全とは、「心臓が悪いために、息切れやむくみが起こり、だんだん悪くなり、生命を縮める病気」と定義されています。

下記図にあるように、身体機能がぐっと低下したあと少し状態が戻り、そのあと再び低下したときは前より悪くなるというパターンを繰り返しており、右肩下がりに身体機能は悪化していきます。このパターンの中で、自然と活動を制限し、無理のない範囲で活動するようになります。身体は悪い状態に慣れ、自分がどれほど悪いのかわからなくなり、つい無理をしてしまうことがあります。

VAD装着後の働き方

転居、職場には戻れない事態に

VAD装着により転居を余儀なくされ、元の職場には通えなくなってしまいました。

1つ目の理由は、同居の親族による介助者が2名が必要という条件があるからです。VAD患者は必ず介助者と共に過ごし、VAD患者が危険な状態になったときに、VADを操作したり、病院に連絡したりする必要があります。まりは、介助者がいないとVADは入れられないわけです。

2つ目の理由は、病院から2時間以内の場所に住む必要があったためです。患者が危険な状態になったとき、さらには移植の順番が回ってきたときに、病院に駆け付けられるようにするためと思われます。

在宅ワークへ

心臓移植登録ができるかどうかの検査入院で、数週間で戻るつもりで職場を離れました。しかしそのままVAD手術となり、転院と転居が立て続けに起こりました。そして、元の職場に戻ることができなくなってしまいました。

会社に事情を説明すると、身分は社員のままで「在宅ワーク」を提案されました。仕事の内容は、データ入力や緊急でない企画案件や制度設計等、現場でなくてもできる仕事に軽減されました。労働時間と日数は規定の範囲で自由に設定していいと、ただその代わり給与体系は月給制から時給制になり、月の手取り額は減少しました。

給与が減ることはとてもショックでした。「私はもはや不要な人間だろうか…」「そのうち、どんどん仕事が減って、いらない人になっていくのかなぁ」と感じたこともあります。

しかし、ものは考えようです。労働時間と日数は私の都合に合わせてよし、いつ休んでも、いつ働いてもよし。リモートワークに時々見られるような週1で職場に顔を出すとか、監視システムもない。

折しもコロナ禍で、zoomを活用した会議や学びの提供が増えています。時間に余裕ができたことから副業を検討したり、新たな知識を身につけるべく勉強を始めました。結果として、新しい知識のインプットは本業にも影響を与え、良い循環を生み出しています。

学びや副業がこの先どう役に立つか、十分に稼げるようになるかはわかりませんが、興味を持ったことになんでも挑戦してみようと思い、実践しています。病気に限らず、会社員は必ず定年退職の日が来ます。そのときのことを考えるのが少し早まっただけ。退職後のお金の稼ぎ方を切実な問題として考えるようになりました。

職場復帰するためには

VAD患者本人と、介助者は、入院中にVADの勉強をします。機器の名称、使用時の注意、アラームが鳴った時の対処法等について、臨床工学技士(ME)の指導を受け、筆記テストと実技試験を経て、合格すれば晴れて退院となります。患者が職場(現場)に復帰する場合は、職場の同僚にもVADの勉強をしてもらいます。(病院によって違いがあるかもしれません。詳しくは病院に確認してください)

仮に、私が元の会社を解雇されてしまったら、どうなるでしょうか。引っ越して見知らぬ土地にきて、縁故もない。特別な資格もなく、VAD装着者で車の運転もできない。新しい職場を見つけようにも、同僚には病院が行う介助者勉強会を受けてもらわなければなりません。そんな面倒な人を雇おうと思うでしょうか?だからこそ、在宅ワークに変更してでも退職せずに済んでよかったと思っています。

仕事は続けたほうが良い現実的な理由

1.移植にはお金がかかる

臓器移植にかかる費用として、私の場合は以下の金額が必要になりました。

  1. 日本臓器ネットワークへの登録料30,000円と毎年の更新料5,000円
  2. 移植を受けられるとなったときのコーディネート料100,000円(住民税非課税世帯免除)
  3. 臓器が提供された病院から、移植を受ける病院間での臓器を運ぶための費用、摘出医師の派遣費用。臓器提供施設と移植施設が離れている場合、チャータ―航空機やヘリコプターを使うこともありその際は数百万円かかることもある。(この費用は、一旦患者が支払い、その後申請すると戻ってきます。)

ほかに、移植手術費と入院費は健康保険の適用です。この入院時の保険適用外の費用(食費や病衣、その他もろもろ)も、結構な負担になります。

2.待機期間が長い

2022年6月現在の心臓移植希望登録者数は921件。

対して、実施された移植件数は、2019年84件、2020年は54件、2021年は59件。(日本臓器移植ネットワークより)。20年の大幅な減少の理由は新型コロナウイルス流行の影響と言われています。これまでに心臓移植を受けた人の平均的な待機期間は3年4ヵ月と言われていますが、実際は6、7年はかかるのではないかと覚悟しています。

移植までの待機期間は長く、お金がかかるものと想定しておき、心の準備と物理的な準備をします。その間、ストレスを貯めて心身の不調を招いたり、他の病気になってしまっては、元も子もありません。

まとめ

重症心不全でいつ死んでもおかしくないくらい最悪な状態でありながら、身体を張って仕事をしてきました。そして今、VADによって動ける体と動きたくなる心を取り戻しましたが、同じVADによって自由に動くことができなくなりました。

私のように転居したVAD患者にとっては在宅ワークは唯一かつ、今ある中では最良の選択だと思います。(転居も必要でなく、職場に戻ることができれば最高です。)

今はWワークも一般的になりました。自分の力量次第で仕事を作り、または仕事を得て、お金を稼ぐ時代になりました。私が今、最も大事にしているのは、仕事よりも「身体」です。手術や移植にまつわる様々な副作用等を乗り越えられる身体を作ることです。

私が望む未来は、自分で選んだ場所に住み、自らで生活を創り上げること、自由を取り戻すことです。そのためには待機期間を準備期間として、強い身体を作り、会社勤め以外でもお金を稼ぐ方法を探し、試し、自分で選んだ場所で生活できる資金を蓄えておくことが、絶対的に必要なのです。

VADも移植も人生のゴールではありません。移植待機中も、移植後も人生は続きます(続くことを希望します)。VADで長らえた命を精一杯使っていきたいと思います。

在宅ワークについては、こちらの記事「リモートワークができる職種とは?未経験から転職する方法も解説」で詳しく解説しているので、ぜひ参考にしてみてください。

白血病からの薬剤性心筋症。2019年に植込み型補助人工心臓(VAD)HeartMate3を装着し、心臓移植待機中。VAD装着を機に転居した東海地方で近辺の観光を楽しむ。