公開日 2023年3月28日 最終更新日 2023年11月11日
はじめまして。はとらく編集部の宮﨑です。現在はフリーランスライター、そして前職は障害者雇用専門の転職エージェントで、キャリアコンサルタントとして働いていました。
私は現在、体内にS-ICD(除細動器)を植え込んでおり、身体障害者手帳を所有しています。22歳まで、大きな病気や障害から縁遠い生活をしていました。しかしある日、何の前触れもなく、自分が障害者になることが決定しました。
今回は、私が障害者になった経緯や、障害者のリアルを知ったときに思ったことについてお話しします。
執筆:宮﨑 駿
ライター・編集者。大学卒業直前に心室細動を起こし、AEDによる救命を経験。現在はS-ICDを挿入している。障害者雇用専門の転職エージェントを経験し、ライター、編集者として独立。やたらと甘いものを食べている。(Twitter:@hayawo_)執筆記事一覧
【目次】
目が覚めたら、障害者になることが決定していた
大学卒業直前、駅で心室細動をおこし意識を失いました。そのとき周りにいた人たちがすぐに心臓マッサージとAEDを使用してくれたため、運よく命を落とさずに済んだそう。それから3日後、目が覚めて最低限の会話ができるようになったとき、両親からそう聞かされました。
それまでの22年間、大きな病気をしたことはなく健康診断で心臓に異常があるなんてことは言われたことがなかったので、目が覚めて数日は実感が湧きませんでした。
倒れてから1週間ほど経ったタイミングで、HCU(高度治療室)から一般病棟へ。そしてそこではじめて手術をすると主治医から告げられました。
手術の内容は体内にS-ICDを入れること。「持病もなく、遺伝が関係している可能性も低かったので、心室細動を起こした原因がわからず、治すことはできない」とのことで、そのため、また同じことが起きてもいいようにするための手術だと聞かされました。
自分の体に機械を入れると言われても、想像ができなかったので「はあ。そうなんですか」と正直人ごと、上の空だった気がします。しかし続けて「この手術が終わったら障害者になるからね」と言われ、やっと自分の身に起きたことの重大さを自覚しました。
手術は問題なく終わり、それから2週間ほどで退院。言われた通り、役所に申請して障害者手帳を取得し、その瞬間正式に『障害者』となりました。
いつ誰がどうなるかわからないからこそ
持病もなく、両親が把握している限りでは、親戚の中に重い心臓病を患っていた人はいないそう。そんな自分が命を落としかけ、結果として障害者になりました。
22年間健常者として生きてきて、自分がいつか障害者になるかも、とは一度も考えたことがありませんでした。でも自分はそうなりました。「いつ誰に何が起きるかはわからない」それを身をもって知りました。
後天的に障害者となり、そして障害者の就労に関わる仕事をして、障害者を取り巻く環境がまだまだ改善するべきところだらけであることや、さまざまな場面で健常者との間に差があることを理解しました。
たとえば障害者雇用で働く人の就職1年以内の離職率は、40%前後とされており、一般雇用の離職率と比較して高くなっています。ほかにも正社員で働く人の割合が低かったり、そもそも社会参加する機会が不十分であることも大きな課題です。
これらの課題を改善するためには、障害当事者の努力だけでは難しいでしょう。障害者の周りにいる人、そして社会全体が課題に向き合い、行動することが必要です。
「自分が障害者になるかもしれない」そう思って生きていくことは難しいかと思いますが、実際に私のように、何の前触れもなく障害者になった人間が一定数いることを知ってもらえたらと思います。
※はとらくでは、完全無料でキャリア相談を受け付けています。ぜひ、ご相談ください。