最期まで自宅で、重症心不全の母の生き方

公開日 2023年12月23日 最終更新日 2024年9月23日

はとらくは、心臓病への想いを持つ方にその想いを届ける場として活用いただくため、「はとらくで届けたい」と題して、寄稿文を募集しています。

今回は「はとらくで届けたい」第一弾として、重症心不全を患う母を持つtaekosanさんから、想いを寄稿いただきました!

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寄稿者:taekosan

プロフィール文:茅ヶ崎でサロンを営む鍼灸マッサージ師。2022年、母が重症心不全を患う。本人の意思を尊重する生き方を全力サポート中。執筆記事一覧

【目次】

全てが無理矢理で型破りな母

母は少しトリッキーな人。去年、心筋梗塞の発作を耐えてしまい重症化してICUへ運ばれました。強心剤の持続点滴が外せず退院のメドが立たなかったのですが、自らの強い意思で三週間のICUでの処置を一週間に縮め(無理矢理)、僅か一か月半で退院しました。

母は確固たる生死観をもっており死を本当に恐れていません。発作が突然訪れた時も『心筋梗塞だ、これで私は死ぬんだな…』と思ったそうです。この辺は哲学者の域に達していると思うのですが、以前から再三聞かされていたため母の意思を曲げることなど誰にもできません。

最期を自宅で、そして一人であっさりと迎えるというのは母の理想であったのに、自らクリニックへ駆け込んだことをとても悔やんでいました。そこから日医大のICUへ直行。退院するまで『数値』との戦いが始まりました。

心臓病はセオリー通りにはいかない

強心剤の持続点滴が首に刺さったまま自宅療養は不可能なため、数値が良好になるまで退院できないとのことでした。しかし、どこをどう頑張れば数値が良くなるのか?それは母にもお医者さんにもわからず、周りもただ見守るのみ。

治療は利尿剤と強心剤の量を微調整しながら最初につけた6本の管を順次減らしていきますが、1ヶ月半経ったところで振り出しに戻り退院は絶望的になりました。コロナ禍真っ最中で家族は面会できず、徐々に気が荒れて弱っていく母の姿を1日10分間のビデオ通話で確認するしかなす術がありませんでした。

そして、シビレを切らした母がついに「来週、家に帰るからベッドを移動しておいて」と言いました。入院から一ヶ月半のことです。何も良くなっていない状態だけど「最期は家で過ごしたい」という強い希望を告げ、医師の制止を振り切り退院しました。

一気に全ての点滴を抜いたため、初日か、もって一週間の命だと言われました。こうなると、私たちだけで母の亡くなる様を見届けなければなりませんが、コロナ禍もあって『会える』という価値の方が勝っていました。

余命一週間と告げられた、挑戦的で型破りな母。しかし、予想を上回る生命力で今も自宅で生活しています。一週間どころか一年半が経ち、息切れや発作はあるものの自治会の副会長までやっています。

心臓病の人が周りにおらず、さらにこんな性格の母のため私たちは全てが手探り状態。正規のルートで退院していないのでケアマネ、介護保険、訪問医も看護師もいないまま自宅療養が始まりました。

心臓病になっても母は母

本来『自宅で最期まで』を叶えるには、発作が起きても救急車を呼ばない方法を選択できなければなりません。母が苦しむ様を見守っているだけでは病人を見捨てたことになってしまうので、私たちは必然的に救急車を呼ばなければならないのです。

時間があるのかないのかわからぬまま一週間が経ち、母はギリギリ生きている。これは環境を少し整えなければ、と思いました。母の望む看取りをやってくれる訪問医を探し、日医大の医師に紹介状を書いてもらう。通常のセオリーと逆の順序で、自力でやらなければならないのです。まずケアマネを探し、医療機関と連携を取る手配をしなければなりません。

彼らの協力があれば自宅で急死しても死亡診断書を書いてくれるので変死扱いにならず、救急車を呼ばずに済みます。

そうやって暮らしているうちに、頻繁に発作を起こすことはあれどもその度に大騒ぎしなくても対処が可能だとわかりました。ニトロの舌下錠で抑えることができるため、苦しむ度に先生を呼ぶ必要はありません。用意していない時ですら、時間が経っておさまったこともあります。

最初はその度に家族全員集合しましたが、これでは埒があかないため「心臓病というのはこういうものだ」と母も含めてみんなでコントロールしていくことになりました。

心臓病の方を例えていうなら『4気筒エンジンが2気筒に変わった』イメージ。プラスその人のスペックによっても現れる症状が違うため、医師でも予後がハッキリわからないそうです。不可逆性に弱っていくので良くなることはないのですが、母のように自宅という環境や心肺機能が鍛えられることで僅かな改善が見られる人もいるようです。

階段を上る、布団を干す、重い荷物を持つ、長時間の外出は無理ですが、それ以外はいつもの母。私は訪問マッサージの仕事をやっていたこともありますが、病人になっても別人になるわけではありません。

この日を境にできなくなったこと、助けが必要になったことは増えたけど、自宅に行けばそこに母がいる、というのは何にも変えがたい価値があります。

母は2気筒エンジンなだけです。今、利用しているのは月1回の訪問医、週一の訪問看護、介護用ベッド利用と投薬のみ。必要最小限で暮らしています。

確固たる生死観をもっていたとしても、心臓病には通用しないのかもしれません。何故、母は生きていられるのか?未だに大きな謎に包まれています。ちなみに、母は痩せ型の低血圧。心疾患に罹るとは到底思えないタイプです。

現在も血圧は上が68、下が38しかありません。それでもなんだか変わらない母。変わらないからこそみんなが母に会いに来ます。一緒にいる時に発作が起こる可能性もあるのに、です。

死を恐れない生き方は家族も覚悟が必要ですが、意思を貫き、みんなに必要とされる母の生き方を、私は誇りに思います。

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