公開日 2024年7月16日 最終更新日 2024年8月4日
突然、思い描いていた未来が一瞬にして変わってしまったらどうしますか?
わたしは約10年前、致死性不整脈が原因で人工弁の置換術、ICD植え込みをしました。今回は、ICD植え込みにスポットをあて経緯や入院生活、植え込みが決定するまでをお話ししたいと思います。当たり前がなくなる怖さや非日常が日常に変わっていく中で起きる気持ちの変化など、リアルにお伝えできればと思います。
執筆:はらぺこママ
ファロー四徴症・肺動脈弁閉鎖不全で2度の手術を経験。現在、弁置換とICDを挿入。Voicyにて「暮らしが好きになるラジオ」を配信中。フードデリバリーの配達員、フリーで在宅勤務をする小学生のママ。GLAYファン。(Voicy:voicy.jp/channel/3906) 執筆記事一覧
【目次】
突然の記憶喪失
正社員で働き、1人暮らしをしていたわたし。いつも通り朝の身支度をしていたとき、突然目の前が真っ暗になりました。迎えに来た彼(今の夫です)に「大丈夫?」と起こされ、目を覚ますとベットの脇で倒れていました。
いつものようにLINEで連絡を入れてくれていた彼ですが、返信がないのを心配して合鍵を使って家に入ったところ、なんとわたしが倒れていたようです。
声をかけられてすぐに起き上がれたものの、心臓に違和感がありすぐに近くの病院を探しました。当時、私が心臓病の定期通院をしていた病院は電車で約1時間半かかる場所。
さすがにそこまで行ける気分ではなかったので、少しでもはやく近くの病院で診てもらおうと思いました。しかし、先天性心疾患と伝えると「主治医に診てもらった方がいい」と看護師さんに言われ、通院している病院へ電話をかけました。
「いますぐこれますか?」と言われ、そのまま彼の車で病院へ連れて行ってもらいました。しかし、朝の道路は大渋滞!3時間かけてやっとの思いで病院へ到着。その間、心臓に違和感を感じたもののいつも通りのわたし。「疲れが出ただけだったのかな・・・」と、検査をしたらすぐに家に帰れると思っていました。
言葉を失う一言
病院ですぐに心電図をとりながらバイタルチェック。担当看護師さんが慌てた様子で別の部屋にいってしまいました。戻って来るなり「今は、本当に具合は悪くない?無理しないでね。車椅子で移動したほうがいいと思う」と言われてビックリ。そのときの血圧が90を切っており、下は30台でした。バタバタと先生もやってきて「今説明するから、彼も一緒に聞いてもらって」と、2人で診察室へ移動しました。
「すぐに入院が必要です。肺動脈弁という弁が上手に機能してないです。それに、失神は不整脈が原因で起きたと考えられます。助かったのは本当に奇跡。これから検査やカテーテルをさせてもらって、その結果ICDという機械を埋め込むことも検討していきます」
「わけがわからない」というのがそのときの率直な心境でした。
昨日までいつも通り仕事をして、今日もいつも通り出勤しようと思ったのに・・・ただいつも通り生活していただけなのに・・・。なんなら今から仕事できるくらい元気なのに・・・。わたしの頭のなかは「なぜ?」でいっぱいに。
彼も状況を受け入れるのに必死で、2人で淡々と入院準備をしました。
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心臓の悲鳴とカテーテル検査の結果
弁の置換術が終わるまでは歩行禁止、トイレも車椅子移動。ベットの上だけでの生活を送ることになりました。
1週間後にカテーテル検査、2週間後に弁置換術が直ぐに決まり、その間もさまざまな検査を受けました。あらためて病状説明の紙をながめると「右心室拡大」「肺動脈弁逆流(重度)」「心室頻拍による失神」の文字が・・・。スマホで調べると、わたしの身体はものすごいことになってしまったんだ。とじわじわと恐怖が襲ってきました。
今までも何度か心臓に違和感はあったんです。疲れやすかったり、貧血気味だったり・・・でもいつものことと見てみぬふりをし続けてしまった。いつの間にか、病気に身体が慣れてしまった。その結果、心臓が悲鳴を上げてしまったんだ。なんてことをしてしまったんだろう。どんどんとそんな思いで心がいっぱいになってしまいました。
ここ数年、肺動脈弁閉鎖不全症と診断され薬はかかさず飲んできました。ドロップアウトした定期外来にもきちんと通いだしました。それなのに・・・なんで??わたしの身体はものすごい勢いで壊れていってしまったの??これから受ける検査や手術に対する不安、毎日の検査時に感じるちょっとした痛みさえも怖く、すっかり何もする気にならなくなってしまいました。ただただ、毎日検査に呼ばれ車椅子で運ばれ、戻ってきたら眠る。眠れないときは、とりあえずテレビを見る・・・その繰り返しでした。
カテーテル検査では、心室頻拍誘発施験が行われ、わたしは見事にその場で失神しました。あの日倒れたときと同じです。簡単に言うと、不整脈をわざと起こして心臓の耐久性を診る検査。失神したときの感覚は、目が白目になっていき、先生たちの「あ~なったなった」と言ってる声が聞こえる中意識が無くなっていく感じでした。
検査とはいえものすごく怖く、意識が戻ったあとはポロポロと涙を流し看護師さんが「こわかったね大丈夫だよ」と寄り添って涙を拭いてくれていた記憶が鮮明に残っています。
カテーテルで見事に失神したわたしはICD植え込みが決定。すぐにICDの説明とパンフレットを渡されました。
当たり前が変わってしまった
普通の会社員生活が一変し、歩行禁止の入院生活。今でも鮮明に覚えているカテーテル検査。いかに毎日の何もない日常が穏やかだったか、痛感しました。今はようやく大変だったけれど、自分と病気に向き合えた時期と思えるようになりました。
お世話になった看護師さん、先生、そして家族に感謝しております。次の記事では、私がいちばん感情を揺さぶられたICD植え込み術から退院後の生活を綴ります。