22歳当事者と親の立場から見る僧帽弁閉鎖不全症手術記録~感じていた異状と診断〜

公開日 2024年5月28日 最終更新日 2024年6月16日

初めまして!22歳息子とその母です!2年前に息子が僧帽弁閉鎖不全症の手術を受けました。その時の経験を息子と共に綴っていきたいと思います。

今だから語れる母ごころと当事者ごころ。こんな経験をした親子が居るのだということが、どなた様かのお役に立てれば幸いです。今回は「診断を受けてから手術が決まるまで」についてです。

ライターの画像

執筆:ABLE&あゆ母

あゆ母のひとり息子ABLEは、高校入学時の健康診断を機に、僧帽弁閉鎖不全症と診断。大学在学中に重症化し、開胸手術を受ける。親子共に文章を書くことが好き。執筆記事一覧

【目次】

大学生で僧帽弁閉鎖不全症と診断されるまで(母記)

高校入学時の健康診断で心電図異常

息子が高校に入学してしばらく経った頃、高校から大きな封筒が郵送されてきました。中には、心電図の記録と『要精密検査』の文字。入学時に全生徒が受けた健康診断で異状が発見されたので精密検査に行くようにという指示でした。

「心電図の異常」は割と耳にすることだと思います。私もそう思っていたので、「問題なし」と言ってもらいに診察に行ってこようと、近所で循環器内科を標榜している開業医さんに行きました。先生に高校から送られてきた心電図を診て頂くと「これは詳しい検査が必要だから、大きな病院に行った方が安心」と言われ、地元では名の知れた循環器の専門病院を紹介していただくことになりました。

循環器病院は、ご高齢の患者さんが過半数ではあるものの、若い患者さんもいたことが私にとっては驚きでした。心臓の病気に縁がなかった私には、ご高齢の方が受診する場所というイメージしかありませんでした。

そこではエコーなどの検査をしたと思います。先生からは「生まれつき心臓の弁が弱いから、今後また何か検査で言われたときに思い出して」というお話でした。特に治療の必要や生活で気をつけたことがいいこともない、とのことでした。「思い出して」という言葉に、衝撃と安堵という相反する感情を同時に抱いたことを思い出します。生まれつき弁が弱い、という衝撃。でも、何も気をつけることがないという程度なのだという安堵。「思い出して」という言葉の裏側で「普段は忘れてもいいのかも?」という楽天的な解釈をし、自分に言い聞かせていました。

大学入学時の健康診断で再診

それから3年後の2020年。息子が大学に無事入学した頃は、ちょうどコロナ流行の始まりの時期でした。

入学時にある健康診断はコロナ流行を恐れて延期され、秋ごろだったと思います。内科検診の時に、息子自身から医師に高校の時の話をしたそうです。すると、聴診器での診察で「心雑音」があるとのことで、高校の時と同様に「要精密検査」という書類が送られてきました。

「安心させてもらうためにも、念のため行ってこよう」ということで、3年前に受診した病院に行きました。しかしそこで返ってきた言葉は、想定通りではありませんでした。「前回、弁が弱いという話をしたと思うけど、それが悪くなっている」と言われ、その状態が【僧帽弁閉鎖不全症】という病気なのだという診断を受けました。

『重度』になったら弁を修復する手術が必要になるところ、この3年で『軽度』から『中等度』にまで悪化しているとのことでした。かといって、今現在の病状では何も治療方法がなく、「重度になったら手術」するしか治療がないと言われました。そしてそのタイミングは半年後になるかもしれないし、数年後かもしれないし、数十年後になるかもしれない。まったく予測はつかないので、定期的に悪化していないかを検査していくしかない、とのことでした。

結果として、その日から半年ごとに経過観察のための受診をすることになりました。

コロナ流行中に重度判定

コロナの流行が進んでからは生活が一変しました。半面、並行してオンラインの技術が発達し、大学の講義はオンラインで受けられるようになっていました。

半年ごとの受診を重ねてきた2021年の秋。僧帽弁閉鎖不全症の重症度は、左心室から左心房への血液の逆流量で判断するのだそうですが、その値が重度レベルに達しているという宣告をされました。重度ということは手術の適応になるとのことでしたが、症状がそれほど出ていないので緊急手術ということではなく、大学生活に支障の少ない時季に手術をしたら良いという話でした。

重度判定を機に、循環器内科から心臓外科に転科することになりました。心臓外科の主治医とお話していく中で、大学2年生から3年生になる2022年の春休みに手術をするということに決まりました。

【関連コラム】

本人は感じていた異状と心情(息子記)

今にして思えば、実は異状だったのか

自覚症状としては、まずは息切れ、次いで動悸があった。

例えば階段を上ったり、軽く数十メートル走ったりという程度でも、明らかに異状を感じていた。ジョギング程度の速度でも、全力疾走と同じ程度の動悸と息切れがある。だけど、これは自分がそれほど運動するタイプではなかったということもあり、運動不足が祟ってのものかと考えていたため、まさか心臓に問題を抱えているためとは夢にも思わなかった。

症状としてはそれだけだったが、心臓の状態が進行していくのに比例して症状も悪化していき、入院前には一階分の階段を上るのすら辛いほどになってしまった。手術も完了し退院した現在は、階段を上がるのは苦ではないが走るのは辛い、という状況である。

診断時の気持ち

自分が僧帽弁閉鎖不全症である、と診断された時は、正に唐突に殴りつけられたかのような感覚であった。

まずそれだけの衝撃があり、なぜ自分が、何の報いでこのような罰を受けねばならないのか、という絶望感が続いた。しかしこの時点では症状も軽く、このままなら手術は必要ないと言われ、一筋の蜘蛛の糸が下りてきたような心持ちであった。

手術が必要と言われて

しかしあっという間に悪化していき、遂には手術が必要であるとまで言われ、とてつもない絶望感に襲われた。

その場では軽口を叩いて誤魔化したものの、自分自身に嘘はつけず、寝たり起きたりを繰り返した。まんじりともせずに夜明けを迎えることが増え、ストレスで体調を崩すことが増えた。

あっという間のことに、息子も母もついていけなかった(母記)

僧帽弁閉鎖不全症の診断から手術が決まるまでについて振り返ってみました。突然の心臓病の診断・手術は、容易には受け容れ難いことでした。

あっという間に手術が必要となったときには、あまりにも衝撃的で頭が真っ白になりました。その日の帰り道、自分たちを励まそうということで食べに行った回転ずしの味が、全く感じられなかったことを思い出します。

病気に対する治療だけではなく、精神的な揺れ動きに対してもケアが必要な状態だったと思います。医療に携わる方々にぜひ目を向けて頂けるようお願いしたいです。

あゆ母のひとり息子ABLEは、高校入学時の健康診断を機に、僧帽弁閉鎖不全症と診断。大学在学中に重症化し、開胸手術を受ける。親子共に文章を書くことが好き。