「病気の人がいてもいいよね」という世の中にしていかなきゃいけないーー先天性心疾患当事者の猪又竜さんに聞く、病気を抱えての就職活動の苦労

公開日 2023年1月16日 最終更新日 2023年4月21日

生まれつき病気を持った人が就職活動をするとき、企業側が病気への理解が乏しく内定をもらうのに苦労することがあります。

長野県ヘルプマークディレクターの猪又竜さんも、先天性心疾患があることで企業側の理解が得られず就職活動に苦労された1人です。

はとらく代表秋山との対談、Part1の今回は、猪又さんに自身の病気についてや幼少期から大学までの過ごし方、就職活動時の苦労話などをお聞きしました。本記事と合わせて3回に渡り「心臓病の人の障害者雇用」をテーマに対談の様子をお届けします。

※インタビューはオンラインで実施しております。記事中の写真は、猪又さんにご提供いただいたものを掲載しております。

早速ですが、猪又さんが抱えているご病気について聞かせてください。

猪又:
私は先天性心疾患の「完全大血管転位症」という病気を抱えています。肺動脈と大動脈が入れ替わっているというのが最大の特徴です。また、肺動脈狭窄と心室中隔欠損があります。

私は、8歳のときに東京女子医科大学病院(以下、東京女子医大)で「REV手術」を受けました。REV手術は、心室中隔欠損の穴はそのままですが、そこから大動脈に伸びる壁を人工的に作り、左心室に間違ってついている肺動脈を切除して、心臓の手前に引っ張り右心室につなげる手術をしています。その際に肺動脈の長さが足りなかったため、ウマの心膜を使って右心室に繋げています。

それ以降は東京女子医大や長野県立こども病院に通いながら、36歳のときに再度、東京女子医大で手術を受けました。そのときに受けた手術は、以前の手術でウマの心膜が石灰化しており肺動脈が狭窄を起こして血圧が高くなっていたため、ゴアテックス素材の人工血管に入れ替える手術を行っています。

8歳のときに初めて手術をしたということですが、それまでの生活・暮らしについて聞かせてください。当時はどのように暮らしていましたか?

猪又:
当時、チアノーゼが非常に強く出ていたので運動制限があり、とにかく体は動かせませんでした。少し歩いただけで息切れをしたり、運動をしなくても常時酸欠状態になったりしていました。

家の中や小学校では酸素ボンベが置いてあり、頭痛がひどくなると酸素を吸ってしばらくはベッドの上で過ごすんです。小学校は大人の足で歩いて5分程度の距離でしたが、息切れしてしまうので母が自転車で送り迎えをしてくれていました。

手術を受けてからは生活はどのように変わりましたか?

猪又:
チアノーゼは全くなくなりました。運動制限はありましたが、日常生活にはそれほど影響がない程度にはなりましたね。もちろん体育や遠足などは制限がありましたが、歩いて通学することができるようになりました。また酸素を吸わなくても良くなったので、運動などの体力的な活動以外は問題なく学校生活を送れるようになったのも嬉しかったです。

これまで心臓病が理由で苦労したことはありますか?またこれをやってみたかったと思うことはありますか?

猪又:
小学校の頃、「チアノーゼ」や「ばち指」などの心疾患特有の特徴的な見た目をしていたので、見た目でからかわれることがありました。「ゾンビみたいだな」とか「おまえの心臓なんか壊れちまえ」のような言葉です。そうした面でイヤな思いをしたことがありました。「なぜそんなことを言われなきゃいけないのかなと」小さいながらに思うこともあって。ですが、基本的にはそういった声を無視してやり過ごしていました。

中学・高校時代で言えば、僕の中学校では登山の授業があったんです。運動制限があったのでみんなと一緒に行けないし、高校になってからは競歩大会があったのですが参加できず、そうしたところではさみしい思いをしました。
しかし、僕の場合は「できるところで参加しよう」という思いがあったので、競歩大会ではチェックポイントで手伝いをしたり応援したりして参加していましたね。

大学では自分のスケジュールで動けていたため、基本的に苦労はなかったのですが、就職活動が大変でした。この就職活動が、一番社会との壁を感じましたね。履歴書に病歴とともに日常生活には問題ないことを書いたのですが、履歴書を提出しても面接すらしてくれない企業ばかりでした。

「なぜ面接をしてもらえないのか」と問い合わせると、「心臓が悪い人を雇った経験がないです」「急に倒れられると困ります」などと言われました。私はこのとき「本当に世の中の人は心臓病のことを知らないんだな」と思いました。企業は心臓病のことをすごく怖がっているんですよね。

社会人として働く気満々でしたが、「心臓病」の3文字で面接すら受けさせてもらえず、書類の段階で落ちてしまう世の中なんです。私は人生で一番、病気を恨みました。

心臓病で面接すらしてもらえないというのは辛いですね。そんな就職の壁を猪又さんはどのように乗り越えたのですか?

猪又:
実は乗り越えてないんですよね。ラッキーがあったってだけで。今の会社に就職したのも、たまたま母が地元の新聞の就職情報欄で正社員を募集している広告を載せているのを見つけてきたんです。「ダメ元でいいから電話をかけてみなさい」と言われて電話したんですよね。

「障害者枠はありませんか?」と聞くと「やってますよ、すぐに履歴書を送ってください」と言われて、その翌週に面接が決まりました。面接と適性試験を受け、2~3日くらいで「採用です」と連絡が来ました。

大きな企業なので、障害者雇用率も達成しなくてはいけないし、これまで培ってきた経験値もあるでしょうから、これまでの企業にあったような「心臓病患者への恐怖」という雰囲気はなかったですね。なので、本当にラッキーで今のポジションにいるんですよね。

就職活動をしてから今の会社に入るまではどのくらい間が空いたのですか?

猪又:
私は大学院で博士号を取ろうと思っていて、その間に心臓の状態が悪くなり博士号を生かした職業に就くのは難しくなってしまったんですね。そのため地元の障害者雇用の合同就職説明会に参加しました。

そこで、新車の販売会社に障害者枠でですが、正社員として就職が決まったので、大学院を辞めて地元に戻ることにしました。しかし実際に働いてみると、8時前には出社して、帰宅するのは20時という生活が週6日続いたんです。そこで、自分の心臓にはだいぶ負担になっていたことに気づきました。

毎日遅くに帰宅してご飯を食べて、お風呂に入って寝るだけという生活が体力的にもキツく、精神的にも元気じゃない状態になってしまい、わずか4か月で辞めてしまいました。

働いている最中は頑張ろうという意識が強く、とにかく頑張っていたのですが、4か月で辞める判断をして……。そのときにすごく反省をして「頑張ろうという気持ちばかりで、何でもやろうとするのはだめだ」ということが分かりました。

次に就職するときにはこのぐらいのペースじゃないと長く続かないということを企業に伝えることにしました。しかし、履歴書を送っても心臓病の3文字で面接すらしてもらえなかったです。結局数か月間の空白期間がありました。その期間を経て今の会社に就職しました。

ほかの心臓病当事者からも同じような声を聞きます。「履歴書を出しても面接までつながらないのが悩ましい」と。当時の猪又さんはどんな心境でしたか?

猪又:
うつになる直前だったぐらい、何をするにもやる気がないというか、何をするにも楽しくないという精神状態でした。「心臓病じゃなかったらな……」と、考えたのは仕事が決まらなかったその数か月間だけでした。

最初の新車の販売会社も、心臓病だったからこそすんなりと障害者枠で決まったので、そのときも別に心臓病のことを恨んでいません。今の職場もそうです。

けれど、その間の数か月間は地元の企業からことごとく「心臓病の人は怖い」というような反応をされたんですね。それに対して「それって僕を見てないですよね」という意識があって、心臓病という得体の知れない腫れ物に触るようなとにかく接触したくないというような反応をいろいろな会社から受けてしまって。

そのときだけは本当に「心臓病じゃなかったら、こんなに苦労しなくて済むのに……」と思いました。今の自分からは想像できないぐらい、口数も少なく1日ゴロゴロして過ごすことが多かったですね。

次の職場が決まらなかった間も、面接自体は何社か受けたのですか?

猪又:
全く受けていません。私は長野県の病院に通っているため、そこから通える範囲の会社を選ぶことになるのですが、そうすると、選ぶ対象が中小企業しかないんですよ。比較的大きな企業にも履歴書を送りましたが、面接はしてもらえませんでした。

中小企業は障害者枠での雇用をやっていないところが圧倒的に多いので、そうすると心臓病は怖いという考えの人事部や社長がいてもおかしくはないんですよね。地方の場合は、就職のチャンスや選択肢が少ないなと思っています。

自分が通える範囲で探す場合、自宅からあまりに離れてしまうと体力を使ってしまいますよね。猪又さんは通勤までの範囲を決めていましたか?

猪又:
車で20〜30分以内かな。電車がどこにでも走っているわけではないので、基本的には車で通えるところ。また、長野県立こども病院から離れるわけには行かないので、転勤がないのが条件でした。長野県だと、先天性心疾患を診られるのがこの病院だけなので。

お金の面で言うと、一人暮らしをして家賃を払いながら生活するのは難しく、実家から通える範囲の職場を探すのも重要なポイントでした。

心臓病の人でも就職できるようにするには、どんな取り組みが必要だと思いますか??

猪又:
企業には「病気ではなく、人となりをみてみよう」という意識を持ってもらわないといけないですよね。病気の人用または障害者用の募集をするということではなく、すでに募集している求人の中に「病気の人がいてもいいよね」という世の中にしていかなきゃいけないと思っています。

加えて、企業の社長や人事に、「人間のバラエティの豊かさ」の経験値を増やしてもらいたいです。企業の人は知らないんですよ、先天性心疾患の人に会ったことないから。

例えばですが、僕と会ってみればいいんですよね。会ってみて、話をしてみて「なんだ、こういうことに注意すれば、そういう人でも働けるんだな」ということを知ってもらえれば、同じような病気を抱える人が履歴書を送ったときに「猪又さんみたいな人かも知れないな」と思ってくれて、じゃあ会ってみようかというようにつながるのではないかと思うんです。

けど、今のままでは本当に「雇いたくない」という印象が強いので、意識改革をしていかないといけないなと思います。

自分もそれはすごく感じます。すべての中小企業とは言わないですけれども、多くの中小企業ではまだまだ理解がなくて……。一方で、大企業とかで心臓病とかの方を受け入れたことがあるところだと、逆に積極的に受け入れてくれているなという印象を持っています。

猪又:
体力的なところを中心に合理的配慮が必要だということを経験しているので、経験値があるのでしょうね。

そこが地方の中小企業との差はすごく激しい感じがするので、そこはどうにかしたいなとは思っています。基本的には知ってもらうしかない。1回お話しましょうっていうことを仕掛けていかないと駄目だなと思っています。

まとめ

今回は、猪又さんに自身の病気についてや幼少期から大学までの過ごし方、就職活動時の苦労話などをお聞きしました。次回、Part2では障害者雇用枠でどのように働いてきたか、無理をし過ぎないポイント、など猪又さんの経験談についてお伺いします。お楽しみに!

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医療ライター・編集者。「kakotto.」代表。先天性心疾患当事者。臨床工学技士として大学病院等に勤務経験を活かし、2016年にライターに転身。「易しく、優しい文章を」をモットーに、難しい医療のことを分かりやすく解説。