当事者になって分かった、心臓病を抱えて看護師を続けることの難しさ

公開日 2023年2月21日 最終更新日 2023年11月19日

私は「子供の頃から看護師になる!」と人の役に立つ仕事をすることを夢見ていました。そして無事に夢を叶えることができ、看護師として循環器の急性期病院で長年従事し、心臓疾患の患者さんを多く担当しました。

医療の仕事は、日勤に二交代夜勤で残務も多く、そのうえ新人指導や勉強会の業務もありました。こんなハードな勤務をこなしながらも充実した日々を過ごしていました。そんな私が、2017年の秋に突然心臓病に倒れました。今回はそんな当時の話をします。

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執筆:はなちゃん

先天性心疾患心室中隔欠損で3歳半で根治術を受ける。その後ごく普通に生活していたが35年経ち再手術。現在、息子と猫に翻弄される日々を送る。執筆記事一覧

【目次】

私が「心臓病?」

2017年の秋頃のいつも通りの朝、私は子供たちを見送ったあと、今までに感じたことのない違和感が胸にありました。しかし「疲れてるのかな」と、特に気にすることもなく外出をしました。

すると徐々に立っているのも大変なくらい違和感が膨らみ、慌てて近くの循環器クリニックに駆け込みました。

明らかに顔色が悪かった私はすぐに処置室に通されました。詳しく診てもらうと、「血圧は50台で心電図でも今にも心臓が止まりそうです。右房がほとんど動いていません。今から、大きい病院へ救急搬送します」と説明され、救急搬送されました。

搬送先の総合病院で医師から「心臓がほとんど動いていません。心筋梗塞の可能性も高く、これから緊急でカテーテル検査をします」と告げられました。家族の到着を待ってる暇はない、とのことだったので医師2人同席のもと、緊急カテーテルに同意しました。

次に目が覚めた時に目に飛び込んできたのは、両親の姿でした。そして医師から、心原性ショック状態で重度の冠攣縮性狭心症であることを告げられました。

心臓病と診断されてからの働き方

幸いなことに病気に対して理解のある職場だったので、退院後は一旦療養をさせてもらい、3週間ほどで職場復帰しました。復帰後しばらくは体への負担を考え、夜勤を控え日勤のみ行っていました。その後徐々に、夜勤もするようになり発症前と変わらない勤務をしてました。

ただ、内服を継続しているものの狭心症の症状は改善されませんでした。ニトログリセリンを使いながら家事や育児を行い、そのうえで働いていました。

また立場上、委員会業務や勉強会企画、新人指導も担当していたため、日々の勤務に加えてそれ以外での身体的負担が増えてしまい、睡眠不足も続いていました。医療業界は人手不足で、常に看護師が足りない状況だったため、「休みたい」と言えずにいました。そして「自分は大丈夫だろう」と思い込んでいました。

そんな生活を続けていましたが、2018年にブルガダ症候群であることが発覚。その頃胸痛もから強くなり、ニトロを舌下しても落ちつかない日も少なくありませんでした。

そして2019年ごろになると、胸痛時の波形変化が強く、心室頻拍を度々起こすようになりました。そのためICD植え込みの手術をしたのですが、致死性不整脈ではない不整脈の場合は作動しないため、胸痛のない副治療は難渋し、心不全での入退院を繰り返すようになりました。

休職もついには1年となり「復職の目処も立たない状況で休職を取り続けるのは…」と職場の看護部長から退職を促されました。

自分自身でも「看護師として働きたいが、今の病状では厳しい」と頭では理解していましたが、それでも「看護師として働きたい。職を失いたくない。辞めたら看護師として本当に現場復帰できるんだろうか…」と日々悩み続けました。

しかしこのまま職に拘っても資本となる体を立て直さないと生きていく事もできないと悩みに悩み、2020年に『退職』を決断しました。

退職してからのわたしの考え方

退職してからは、休職中に感じていた『復帰』というストレスから解放され、治療に専念できるようになりました。

現在は在宅酸素と訪問看護に介入してもらいながら、在宅での生活を支援してもらっていますが、まだまだ入退院が多い生活は続いています。

それでも、元看護師という立場から自分の状況について冷静に考えることができるようになりました。「仕事の代わりはいる。自分の体が働くこともできなくなってからでは遅く、もう少し自身の身体を労われれば良かった。自分のやりたかった看護師像は何だったんだろう」と考えています。

今でも看護師として復帰したい気持ちはありますが、正直今の病状での職場復帰は難しいとも思っています。だからこそ、何か違った形で生かせることを探していきたいと思います。

看護師免許取得後、循環器・心臓血管外科病棟にて勤務。2017年に重度冠攣縮性狭心症発症しショック状態からの蘇生。その後、ブルガダ症候群発症し持続性心室頻拍にてICD植え込み。現在は、自宅療養をしながらライターとして活動。