ある日突然、我が子に心臓病があると告げられた!~母の想いも聞いてください〜

公開日 2024年6月17日 最終更新日 2024年8月12日

現在22歳の息子は、僧帽弁閉鎖不全症があります。高校入学時の健康診断で心臓の精密検査を指示され、診断を受けました。20歳で手術を受け、現在では健康な人と変わらない日常生活を送っています。

診断を受けた時は、まさに青天の霹靂でした。本人は勿論ですが、母も激しく心が揺れ動きました。「家族は第2の患者」という言葉も耳にします。だからこそ、母の想いを知って頂けたら嬉しいです。

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執筆:ABLE&あゆ母

あゆ母のひとり息子ABLEは、高校入学時の健康診断を機に、僧帽弁閉鎖不全症と診断。大学在学中に重症化し、開胸手術を受ける。親子共に文章を書くことが好き。執筆記事一覧

まさか我が子が心臓病?

どうして我が子が生まれつきの心臓の異状?という思いはなかなか拭えませんでした。20年前の妊娠期を思い出し「何か心臓のために悪いことをしていたのだろうか」「あれが良くなかったのだろうか」などと自分を責めることしか考えられなくなっていました。しかも、何故生死に関わる心臓?もし何かあったらどうしよう、という恐怖は計り知れないものがありました。

治療方法として、重度になって手術適応になるまでは経過観察を続ける以外に何もすべきことはないということも衝撃でした。手術が必要になるのは「半年後かもしれないし、数年後かもしれないし、数十年後かもしれないし、なってみないとわからない」ということで、目の前の息子はとても元気に見えるし、きっと数十年後まで悪化することはないだろうと自分に言い聞かせていました。そして、おそらく数十年後には医療技術も進歩して、手術以外の治療方法が見つかっているかもしれないと思うようにしていました。

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コロナ流行と感染への恐怖

治療方法が何もないということで、半年ごとの検査受診以外は通常と変わらない生活を送っていました。普段は心臓疾患があることさえも忘れてしまうほどでした。

ですが、コロナの流行が進み、感染による悪化への不安が募るようになりました。見た目には普通に元気な大学生の若者にしか見えません。しかし、もし感染して心臓が悪化したらという不安が日に日に募っていました。神経質すぎると思われたとしても、息子に感染させるわけにはいかないと必死でした。

感染への不安について大学の先生に相談したところ、その先生のご家族が心臓手術を経験していらっしゃるとのことで、とてもご理解くださいました。そのことが本当に有難く、涙が出ました。世間はコロナの治療薬もない中でリアルでの通勤・通学に戻り始めた頃でしたが、オンラインでの受講を許可して頂くことができました。

無力感との闘い

何か治療方法がないのか、手術までの期間を長引かせる方法はないのか、インターネットや図書館で片っ端から調べました。意外と「心臓弁膜症」に関する資料は少なく感じました。特にインターネットでは、犬の僧帽弁閉鎖不全症の話ばかり出てきて、歯がゆかったです。また、人間の話だったとしても、高齢者の場合が多く、息子のように若齢での情報に辿り着くことは難しかったです。

そんな中で心臓弁膜症の患者会に出会い、参加させて頂いたことがあります。が、「親に分かるわけがない」「母子分離が出来てないのでは?」などという心無い言葉をかけられました。とても悲しく、悔しい思いをしました。確かに、私の病気ではありません。だからこそ、病気のことや当事者の想いを知りたいと思いました。親にとって、我が子は何ものにも代えがたい存在です。病気を代わってあげられるものなら代わってあげたいと心から思いました。

でも代わりたくても、代わることもできません。自分の病気であれば自分は辛いですが、自分が頑張ればいい。でも、病気の我が子を目の前にして何もできないことがこれほどまでに辛いのか、と思い知らされました。自分が病気であった方がどんなに楽か、と思いました。ですが、息子の前ではそんなことは表に出さず、いつも通りに過ごしていくことが大切なのではないかと考え、いつも通りを心がけて過ごしていました。

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泣きたい、けど、泣けない

我が子がものすごく頑張って病気と向き合っているのに、親が泣いている場合じゃない!と思って、自分を無理やり奮起させて過ごしていました。

でも本当は、子どもに対しての申し訳なさやかわいそうに思う気持ち、不安、心配、など、いろんな複雑な気持ちに押しつぶされそうになっていました。ですが、母はその大きくて複雑な心の渦を奥底に押しやって、もっと辛い思いをしている我が子にはにこやかに朗らかに接してやりたい、そうしなければならないと、必死に平然を装いました。それが母ごころなのです。

心臓病に限らず病気をもつ子の親は、泣くタイミングを見失っているのだと思います。本当は泣きたいくらい悲しいし切ないし苦しいのに、泣く場所が与えられていないのです。

涙の誕生日

手術のための入院の前日は、奇しくも私の誕生日でした。

今まで誕生日だからといって何かをしてもらったことがなかったのですが、この時は息子から『おめでとう』という焼き印の入ったチーズケーキをもらいました。

「大きな手術だし、その前に親孝行をしておこうと思って。言葉は『おめでとう』か『ありがとう』を選べて、今回はどっちでもいいと思ったけど、まあ、誕生日だから取り敢えず『おめでとう』で」との言葉に、母は大号泣。

泣いてはいけないと思っていたのに、この時は我慢ができませんでした。普段から泣き虫の母のために、息子が泣くタイミングを作ってくれたんだと思います。息子の方が大変なのに、母という生き物は強いようでいて実に弱いと改めて思いました。

自分のことじゃないからこそ

自分のことならば自分が頑張ればいい、でも、自分以上に大事なのに、我が子の病気には何もしてあげることができない。その無力感が一番辛かったです。

医療に携わる方々には、家族の心のケアにも目を向けて頂けたらと願います。

あゆ母のひとり息子ABLEは、高校入学時の健康診断を機に、僧帽弁閉鎖不全症と診断。大学在学中に重症化し、開胸手術を受ける。親子共に文章を書くことが好き。